人の表情というか、面差しというか、観察しているといろいろおもしろいものがある。世耕参議院議員が出席した「政倫審」には興味はないが、世耕議員がどんな表情で受け答えをするのかは気になって、見てしまった。そのニュースはこれね。

《政倫審で世耕弘成参院幹事長「違法性の認識は全くありません」 一方で秘書がダンサー懇親会に出席めぐり「謹慎を申しつけている」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/d49e0acde0d2bee0deb5318e80e5baeae060fc37

 内容などはどうでもいいんだけど。なにしろこの「政倫審」、嘘をこきまくっても何のお咎めもない。議員の「やりました」感、「みそぎしました」感を醸成するだけのアリバイ政倫審など開いたって時間のムダだ。

 まぁよかったのはこれが「非公開」でなかったことだけである。これで世耕議員を始め多くの国会議員がその面をテレビで全国に曝すことになった。

 でね、世耕議員、安倍さんがご健在の頃には、安倍さんの薫陶がゆきとどいていて、いい目をもつ政治家だった。穏やかさの中に自信を秘め、安倍さんが示す方向に迷いなく進んでいく率直さが目に宿っていた。

 だからワシャの中では「まともな政治家」の中の一人だと思っていたので、わずかな期待をしつつ、今回の政倫審を見守ったのだが・・・。あらら、人というのは2年くらいでここまで表情というか目が変ってしまうものなのだろうか?

 あるいは、人は嘘をつくとき目が変ると言うが、それもあるだろう。一度、3年前くらいの世耕議員の映像でも写真でもいいのでご覧くだされ。その時の目と、今回の政倫審で空疎な弁明を続け「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返し答弁する世耕議員の目が違う。

 世耕議員は正直である。これほど目に出てしまうとは。そんな目を世間に見せてまで守りたいものとはなんだろう。己の地位か?先々に己の地位を上げていくための政治的馴れ合いか?

 今日の朝日新聞の4面に、昨日、弁明をした3人(世耕、橋本、西田)の写真が掲載されている。これを見ると一目瞭然で、世耕議員と西田議員の目が明らかに違っている。世耕議員は人が嘘をつく時の目になっているから笑える。朝日新聞がわざわざそういう写真を選んだのかもしれないが、どっちも嘘吐きだからよくわからない(笑)。

 

 江戸を舞台とした今村翔吾の『くらまし屋稼業 秋暮の五人』(ハルキ文庫)に和太郎という小悪党が出てくる。裏の名は蛇吉、普段は寄木細工職人として生業を立てているが、その裏では急ぎ働きの得意な盗賊の一味であった。その和太郎(蛇吉)が表と裏で表情を変える。その部分を引く。

《和太郎は道中で見せた様子と一変し、卑しい目つきで吐き捨てた。》

 目は変わるのである。