柳田格之進

 日曜日に刈谷市総合文化センターで、立川生志の独演会があった。生志が二席たっぷりを聞かせる。

 午後2時に独演会が始まった。開口一番で弟子の生ぼうが「だくだく」を掛ける。

別名「書割盗人」という噺で、貧乏長屋に住む八五郎が絵描きに頼んで、部屋の壁に床の間、タンス、長火鉢、金庫などを描いてもらう。そこにマヌケな泥棒が入ってきて・・・というような前座噺。

 そして生志、中入り前は「明烏」。枕が長かった。ワシャ的にはそれがよかったんだけど、現在の政局を取り上げて爆笑をとった。「裏金」で職を辞した長崎の谷川弥一氏の話、実際に長崎の落語会で仕入れてきた実話を面白おかしく脚色して語る。どこまでが真実なのかは、なにせ落語なので判りませんがね(笑)。

 中入り後が大ネタ「柳田格之進」、これをたっぷり1時間。基本的に物語の中で笑う場面はない。それでも生志はところどころにくすぐりを入れているが、どちらにしてもシリアスなドラマである。

 物語は実直な侍の柳田格之進が、真面目ゆえに周囲の侍から嫌われ疎まれて藩を追われてしまう。現在は浪人となって娘とともに裏長屋に身を寄せている。そのあたりの経緯(いきさつ)が簡単に説明され、物語は柳田と娘の会話から始まっていく。

 娘は父親の気鬱を心配し「碁会所にでも出かけられては?」と持ち掛け、柳田も「気晴らしに行ってみようか」ということになる。その碁会所で、大店の主、万屋源平と知り合い、碁の腕前が拮抗していることと、お互いの人柄の良さを認め合ったことから、いい碁がたきとなっていく。夏の暑い盛りのことで、碁会所は人いきれもあって蒸す。万屋は「私の宅のほうが、もう少し涼しいのでお運びいただけないか?」と持ち掛け、柳田もそれを応諾する。このあたりの武士と町人の身分を離れた友情の積み重ねを描くのが、生志はうまいねぇ。ワシャは志ん朝の「柳田格之進」を聴いたことがあるけれど、柳田と万屋の友情を描きかたは、生志のほうが上手い。

 後半になって事件が起きる。万屋の離れ座敷で、二人で十五夜の月見の宴を楽しみ、その後、碁を楽しんだ席で50両という金子がなくなってしまう。これを番頭は「盗ったのは柳田様ではないか?」と疑った。万屋は激怒し、「50両のことは忘れろ」と言い聞かす。

 しかし、まじめな番頭は翌朝、柳田のところに掛け合いに行く。「50両が見当たらない。番所に届けを出す」と言ってしまったから、話はこじれてしまう。

 柳田には身に覚えもないのだが、疑られることすら「武門の恥」ということになる。結果として娘が「私を吉原に売って、金をこしらえてください」と懇願したことも手伝って、武士の名誉を守るため、娘で贖った50両を万屋の番頭に叩きつける。

「ワシは50両については知らぬ。しかし疑られた不名誉を拭うために50両を払う。もしその50両が別のところから見つかったなら、番頭、おぬしはどう責任を取るのか?」

 これに対して軽率な番頭が「そうなれば私の首と、主の首も差し上げます」と言ってしまう。

 後刻、そのことを聞いた万屋は激怒する。すぐに番頭を伴って長屋を訪ねるのだが、すでに柳田は転居していた。八方手を尽くし探しても、その行方は杳として知れなかった。

 年が改まる。雪の正月四日。番頭はあいさつ回りの途中、湯島天神の石段で身なりの良い侍とすれ違う。それが探しあぐねた柳田だった。柳田からは紛失事件の数日後に藩に再仕官が叶ったという話を聞き、番頭からは50両が見つかった話をする。

 もちろん真面目な柳田のこと、「では明日万屋に赴き、約束を果たす」ということになった。

 ここからがクライマックスなんですが、この「柳田格之進」という噺、けっこうバリエーションがあって、オチもいくつか存在する。ハッピーエンドもある。柳田の娘を寸でのところで吉原から助け出し、番頭と夫婦になって万屋を継いで、二人の子供が柳田家を家督相続するというもの。あるいは碁盤を叩き斬って「親が囲碁の争いをしたから娘が娼妓(将棋)になった」というサゲをつける志ん生風のもの。単に叩き斬って終わりというのもある。

 生志は、これを一味違う「悲劇のまま終わる」という選択をした。武士の意地を通すという業のために、娘はそのまま苦海に身を沈め、万屋との友情も壊れたまま、憤怒の形相で碁盤を叩き斬って柳田が見得を切る。まるで歌舞伎を観るようだった。

「業の肯定」、談志流の名作を久々に堪能しました。