春場所初日

 一昨日の日記で「大相撲の話」を書いた。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2024/03/09/082743

 その中で《宮城野部屋、悲運の横綱と言われる吉葉山が昭和33年に起こした部屋だった。ワシャはこの部屋の明武谷(みょうぶだに)という関取が好きで、その流れから宮城野部屋も好きだった。》と記している。

 この日記、昨日までで8044回書いているんだけど、その中で「明武谷」(みょうぶだに)と書いたのは、2日前が初めてである。子供の時、明武谷と若秩父が好きだった。若秩父は過去に2度登場しているが、明武谷は3月9日が初出だった。

 その明武谷さんの訃報が昨日流れた。

《元関脇・明武谷が死去 つりが得意の「起重機」》

https://www.tokyo-np.co.jp/article/314327

 この訃報を見て、亡くなられた時間を確認した。3月10日午前2時だった。辛うじてワシャの追想のほうが1日だけ早かったか。

《1954年春場所初土俵で高島部屋や宮城野部屋に所属。190センチ近い長身を生かしたつりを得意とし、「起重機」の異名を取った。筋骨隆々の体、彫りの深い顔立ちで人気を誇り、61年秋場所では敗れながらも大関時代の大鵬柏戸と三つどもえの優勝決定戦を闘った。》

 これなんかもワクワクしながら祖父とテレビで見ていた記憶がうっすらとある。86歳で老衰とのこと、特殊な体形を造り、一気にパワーを爆発させなければいけない大相撲の世界では、天寿を全うされたと言ってもいい。「明武谷」という四股名は本名だった。カッコいい苗字ですね。「山、川、谷、海」というのは四股名によく付ける。そこに「明」と「武」だから、「よくこんな格好いい四股名を考えたものだなぁ」と感心していたのだが、後で本名と知って驚いた。

 本名で相撲を取るということはある。例えば現在十両で相撲を取っている二所ノ関部屋の「白熊」はこの間まで「高橋」だった。また、怪我で幕尻まで落ちてはいるが「遠藤」もそのまま本名でやっている。

「高橋」「遠藤」と比べると「明武谷」って四股名っぽいでしょ。

 明武谷さんのご冥福を祈りつつ、さて、昨日の相撲である。いやーぁ昨日の大相撲は面白かった。

 まず十両復帰を果たした若隆景(わかたかかげ)が欧勝海(おうしょうみ)を押し出しで破った。ようやく戻ってこられたね。大銀杏が似合っていますぞ(嬉)。二所ノ関部屋の白熊も寄り切りで勝ち、同部屋の友風もはたき込みで白星を得た。

 幕に入って、やはり二所ノ関親方稀勢の里)の愛弟子の大の里、まだ髷も結えないんですが、力強く剣翔を寄り切った。平戸海、翔猿、若元春と贔屓の力士の勝ちが続き気をよくして、さあて新大関の琴の若の登場だ。挑むのはこれまた贔屓の熱海富士、森三中大島美幸さんが相撲取りの格好をした時をほうふつとさせる容姿だったので「大島親方」と呼んでいる。もちろん贔屓の力士だ。とはいえ、ここは新大関に勝ってもらって、優勝、横綱への足掛かりを作ってもらわねばならん。心を鬼にして琴の若を応援しましたぞ。で、新大関初白星とあいなった。めでたし。

 そしてなにより大関豊昇龍と宇良の一番である。イエス高須クリニックの高須先生は豊昇龍の大応援団だが、ワシャは宇良っちのファンだからね、懸賞金では先生に勝てないけれど声援では負けないのだ(涙)。その声援がエディオンアリーナ大阪に届いたか!宇良が肩透かしで豊昇龍を土俵に落とした。偉い!その後の一番で、阿炎(あび)が大関霧島を引き落とし、打ち止めの一番では、ワシャの贔屓の錦木、真面目ないい関取なんですが、ちょいと真面目過ぎて策を弄するモンゴル勢にはちと弱かったんですが、横綱照ノ富士を寄り切って金星を得た。

 10番以上、期待したとおりの相撲で、これで好角家と言われるワシャが楽しくないわけがないでしょ。いやーあ、テレビ桟敷で好取組を見ながら飲む酒というのもこれはたまりませんぞ。名古屋場所には絶対に行こうっと!