ワシャが皇室、天皇というものの存在を認識し出した頃、昭和天皇はすでにご老人であられた。ワシャの祖父と同世代の御方だからね。
だから若き昭和天皇を知らない。だから昭和天皇の印象は、優し気な好々爺ということしか記憶になかった。
そんなクソガキも長じて、歴史を学ぶようになり、とくに近現代史に興味を持ち始めると、昭和天皇についてもいろいろな表情を持っておられるということに気が付き始める。
そうなると俄然、昭和天皇のことを知りたくなり、本を買い集めることになった。この棚が昭和天皇の棚で、奥に『昭和天皇実録』、手前に山本七平、松本健一、福田和也、伊藤之雄などの単行本が並んでいる。コミックの『昭和天皇物語』は、ここには2冊写っているが、その他の12冊はコミックコーナーに挿してある。昭和天皇に関連した本だけで80冊くらいあった。
だから今回の課題図書を読むことは、ある意味で今までのワシャの中の昭和天皇像を再確認していく作業となった。と言いながらも、『聖断』は昭和天皇の動向は史実に則っている。そのあたりを『昭和天皇実録』などと照らしてみると、半藤さんの記述が真実に近いものだということに確信を持てた。
そういう確認をしながら、またその資料を読み始めてしまうので、なかなか先に進めませんでした(笑)。
今回の『聖断』での収穫としては、「足立たか」という女性の存在とじっくり向き合えたところが大きい。
第42代総理大臣の鈴木貫太郎の妻であったことは知っていた。「226」の時の夫をかばう毅然とした態度は強い印象として残っている。『聖断』では、この人が随所に出てくるのである。皇孫である迪宮(みちのみや)後の昭和天皇の養育係として、たかが登場してくる。
ある意味で、『聖断』は昭和天皇と鈴木貫太郎とたかの物語なのである。なにしろ『聖断』にはなかったが、半藤さん原作の『昭和天皇物語』では、こんなエピソードがあった。
青年将校たちに襲われた鈴木貫太郎は瀕死の状態で病院に担ぎ込まれ、医師たちの必死の手当てを受けている。祈るような気持ちで廊下の椅子で待っているたか。
そこに看護婦が近づいてくる。
「あの・・・鈴木侍従長の奥様でございますか?」
と、声を掛けてくる。たかが立ち上がると。
「あの・・・お電話が」
「どなたから?」
「さぁ・・・お名前は言いませんでした」
たかは事務室に行き、受話器をとる。受話器からは、
「タカ!!タカ・・・大丈夫なのか?ケガをしてはないか?・・・タカ!!タカ」
と、畳み掛ける声。
「へ、陛下でございますか。私は大丈夫でございます。ありがとうございます」
「よかった!! よかった!!」
おそらくここは半藤さんの創作であろう。しかし、さもありなんというエピソードである。ワシャは不覚にもここで泣いてしまった。「聖断」を下される天皇が、ここまで一介の養育係のことを心配している。昭和天皇のお人柄を拝察するにつけ、「あり得る話だな」と思ってしまった。
その後、課題図書から話題が広がって、当時の朝鮮半島が植民地か?否か?という議論になった。
ワシャは断固として「植民地ではなかった」と主張している。その証拠が『聖断』の中にもあった。第十八章、昭和20年8月12日の記事である。
《午後三時から宮中では皇族会議が、首相官邸では閣議が、それぞれひらかれた。》
続けて、その出席者が並べられている。
《高松宮、三笠宮、閑院宮、賀陽宮(かやのみや)・・・そして最後が竹田宮、李王垠、李鍵公の順に天皇を囲むようにして、弧形の長い机を前にして座った。》
李王垠(りおうぎん)は李王朝の末であり、李鍵公(りけんこう)は朝鮮公族。この2人が皇族会議に出席していることからみても、日本が朝鮮に対して格別の扱いをしていたことは間違いない。
いいですか、イギリス王家が、バッキンガム宮殿での王室最高会議にインド人を入れますか?アラビア人を加えて会議をしますか?
日本が、皇室が、朝鮮を植民地と考えているなら、こんな厚遇があるわけがない。日本の高級軍人、高級官僚、財閥、資産家よりも上の立場に置いている。そんな植民地政策などありえないし、日本は内地同様に帝国大学を造り、学校をそれこそ半島の津々浦々に造って、基盤整備についても手厚く実施している。そんなことを植民地に施す国は存在しない。
例えば、朝鮮半島と同じ扱いを受けた台湾の李登輝青年は、日本人として京都帝国大学に進学し、学徒出陣で日本陸軍に所属している。後の李登輝総統は、終生日本への感謝を忘れなかったし、日本を愛してもいた。彼の著書に『「武士道」解題』(小学館)がある。副題は「ノーブレス・オブリージュとは」となっている。
李登輝総統は「難しいことを考える時は日本語で考える」というほど日本人だった。総統を筆頭にして親日派の多い台湾と、反日の朝鮮半島、日本がこの2つを分けて治めていたということはなく、これはもう民族性の問題としか言えない。
李登輝総統も、蔡英文総統も、頼清徳総統も、台湾が日本の植民地だったとは思っていないのだ。そういうことなのである。
李登輝『「武士道」解題』から、鈴木貫太郎にも通じるフレーズがあったので引いておく。
《「武士は食わねど高楊枝」という言葉があります。日本の武士は、たとえ飢餓に瀕していても、名誉や誇りを捨ててまで金に執着するものではありませんでした。この「瘦せ我慢」の精神こそが、長い間、日本の支配階級の腐敗や堕落を防ぐ大きな橋頭保となっていたのです。》
まさに鈴木貫太郎も痩せ我慢に痩せ我慢を続けて日本の崩壊を防いでくれたものと思います。
今の政治家のでっぷりと肥え、たるんだ顎をタポタポさせている姿(比喩ですよ・笑)にはがっかりです。まずは痩せるほど仕事に励んでみてください。鈴木貫太郎のように。