鈴木貫太郎、「鬼貫」とあだ名される第42代総理大臣である。42(しに)番なのだが、何度も生き延びて、そして日本をも延命させることに成功した優秀な首相であった。
次週開催の読書会の課題図書が、半藤一利『聖断』(PHP文庫)だった。副題には「昭和天皇と鈴木貫太郎」とある。
「ほう、鈴木貫太郎ね」
本を手にした時に、まずそう思った。
昨日も歌舞伎の筋書にかこつけて、二人の首相を取り上げたが、歴代の首相の中でもずば抜けて仕事をしたのが鈴木貫太郎だろう。鬼貫の仕事量と比べれば、岸田首相などほぼ寝ているようなもの。実際に記者会見の時でも目が死んでいて、薄い口ばかりがペラペラと動いているばかり。
そんなボンクラのことはどうでもいい。傑物の鈴木貫太郎のことである。鈴木は慶應3年12月に生まれた。ぎりぎり江戸時代の人だった。この1カ月前に坂本龍馬が刺客に襲われている。そのくだりを司馬遼太郎の『竜馬がゆく』から引く。
《「慎ノ字、おれは脳をやられている。もう、いかぬ」》
「慎ノ字」というのは中岡慎太郎のことで、この時、京都蛸薬師下ルの近江屋の2階に居た龍馬を訪ね、一緒に襲われたのである。続ける。
《それが、竜馬の最後のことばになった。言いおわると最後の息をつき、倒れ、なんの未練もなげに、その霊は天にむかって駆けのぼった。》
ここまでの文章で「竜馬」と「龍馬」が混在しているが、司馬小説の主人公は「竜馬」で、実在のほうは「龍馬」であることによる。
司馬小説を続ける。
《天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。》
龍馬は33年の人生で、見事に日本の新たなる時代への扉を開いてみせたのである。
そしてその1か月後に鈴木貫太郎がこの世に現れた。龍馬は船が好きで、神戸海軍操練所の塾頭までになっている。鈴木のほうも海軍に入って、日清戦争で水雷艇の艦長、日露戦争では第四駆逐隊司令として活躍する。どちらも海の男で、操船については抜群のセンスを持っていた。そういったことからも、ワシャはこの2人の人物が重なって見えていた。
また半藤さんが鬼貫を評してこう言っている。
《その生涯をみれば、この人は野心家でもなければ、口舌の徒でもない。虚栄心すらもっていない稀有の人ともみられた。》
これって、まさに龍馬の人間味ではないだろうか。龍馬のことだから、素直に天にはゆかず、目と鼻の先の大坂で母の胎内にいた貫太郎に入って生まれかわったと思うのもロマンがあっていいじゃありませんか(笑)。
『聖断』には、貫太郎が『老子』を愛読していたことがたびたび出てくる。
「治大国者若烹小鮮」
《小魚を煮る時には、ほどよい火加減でそっとしておかなければならない。箸で突いたりすれば、小さい魚は容易に崩れてしまう。大国を治めるものは、さながら小魚を烹るようにしなければならない》
コミックの『昭和天皇物語』では、このフレーズを貫太郎の妻たかが言ったことになっているが、どちらにしても鈴木貫太郎家の家訓であることは間違いない。
2・26にしろ8月14日の若手将校の決起にしろ、状況判断のできていない、かつ思想に染まってしまったものの行動は愚かだ。こういった行動を新聞社などが煽る構造も、バカが鍋の小魚をつつき回している観が強い。
時代の変革期に天は龍馬をおくり、あるいは70年後の混乱期を貫太郎に担わせた。さて、令和の世に、世界の情況は混乱をきたしている。天は安倍さんを召されてしまった。では、次に誰がこの国の鍋を見守るのだろうか?
鈴木貫太郎のような天祐をもった人物、政治家の登場を心より望む。