メモの効用

 ワシャはつねにメモ帳を周囲に置いている。百均で買ってきたクリップボードに雑紙を挟んだものなんだけど、クリップに鉛筆を噛ませて、部屋という部屋、トイレから風呂場にまで置いている。

 アイディアとかちょっとした思い付きってフッと脳裏を過りませんか?

 あるいは本や新聞を読んでいてとか、テレビを観ていて、「おや?」と思ったりすることってありますよね。

 その時にサッとメモっておくと忘れないんだけど、そのままにして次のことを始めてしまうと、「あれ?なにを思いついたんだっけ??」となってしまうんです。皆さんもそうでしょ。

 そうするとね、大したひらめきでもないんだけれど、なんだかすごいアイディアを忘れてしまったように思えて、「クヤチー!」となるので、とにかくどんなことでも気になったらメモをするというのが習慣になってしまった。

 この中から日記のネタも出てくるんだけど、今日はボツになったものから拾ってみたい。

 

 おお、これは先週のメモだな。「砂かぶり 河村氏 カフスボタン」と書いてある。これだけ情報があれば記憶をたどることができる。

 大相撲初場所十三日目、正面向かって左の砂かぶり席に、元衆議院議員河村建夫氏が座っていた。スーツにネクタイ、ワイシャツの袖はカフスボタンでとめている。しっかり国会議員スタイルだった。その砂かぶり席には、「イエス高須クリニック!」の高須先生も西原さんとよく座っているのだが、ラフな格好で観戦を楽しんでいる。なんで議員を辞めてずいぶん経つのに、いまだにそんな堅苦しい格好で相撲観戦をしているのか理解できない。まぁセンスはないけれど真面目な人柄なんでしょうね。内閣官房長官まで務めた人だが、切れ味はなかったし、存在感も薄かった。

 父親が山口県議会議員で、ある意味での世襲政治家である。また弟が県議から萩市長ということで政治で食っている一族と言える。

 残念ながら、政治力というか寝技が得意ではなく、リンホウセイとの争いに敗けて小選挙区から追い出され、それを切っ掛けにして政治から身を引いた。息子を比例区に出すも、やはりリンホウセイ系の県議の反対で、山口県連所属を認められず、東京都連より参議院比例に出馬し見事に落選した。

 今度の選挙は冷遇ばっかりする自民はやめて維新から東京で出馬するんだとさ。

 世襲の息子は東京を地盤に選挙をする。お父上は両国国技館に相撲観戦。ということは、河村建夫一家の生活の基盤は東京にあるんですね。

 

 山口3区から出馬し10期も務めた河村氏だが、結局、東京の人だったということ。これはなにも河村氏だけの話ではなく、安倍晋三さんだって、リンホウセイだって、ずっと東京で暮らしていた。その他にだって東京に自宅をもち生活基盤がある議員は山ほどいるんだ。

 つまり、後援会という組織だけを地方に置き、地方の政治活動を行っている。要するに江戸幕府に参勤交代で江戸屋敷に行ったまんま、そこに住み着いてしまった大名みたいなもんですわ。時々、お国へ帰って家老衆に「よきにはからえ」と言い、領民どもには天守から手を振ったりはするけどね。

 江戸時代から続く相撲を楽しむ元お殿様の姿を見つけて、こんなことが頭を過ったのであります。

 これ、メモってなければ1文字も書けなかった。