リーダー論

 1月2日の「羽田事故」のことである。

《炎上機内から379人全員脱出の奇跡 9人の女性CAの現状をJALが説明「勤務上の配慮」や健康サポート体制》

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ef3b93ebfa1fbf3a757967067050d939d9ab89b

 炎上する航空機からすべての乗客を避難させ、その後、乗務員も脱出することができた。世界がこの奇跡に驚き称賛を送っている。

 とくにワシャがここで取り上げたいのは機長の行動であった。彼は最後まで機内に残って乗客と部下の安全を見極めて、最後に炎上する機を後にしている。この責任感たるや、「リーダー」の鏡と言っていい。「リーダー」がマヌケだと大参事になってしまうところだった。

 実際、10年前に起きたセウォル号の沈没では船の最高責任者、リーダーである船長が真っ先に逃げ出したため、若い命が多数失われてしまった。リーダーの存在というのは事程左様に、リーダーが率いる集団・組織の命運を左右してしまうものなのである。

 このことはいろいろな組織にも当てはまる。例えば自治体である。地方自治体では行政組織さえしっかりしていればどんな愚鈍な首長が座ってもよさそうにも思える。しかしこれが違う。

 今回の炎上事故やセウォル号の沈没など危機的状況にはリーダーの資質が問われることは当然なのだが、平常運転の状態でもそれが長く続くと、リーダーの資質(いいも悪いも)が組織に浸透し、組織を破壊していく。いわゆる「ゆでガエル現象」である。

 一例を示したい。

 某市において市長派と反市長派で権力闘争があった。その時の市長は市議、県議、市長と政治畑を歩いてきた人物で、学生時代から集団の中心にいてリーダー的資質を有している人だった。灰汁は強かったが行動力、交渉力、判断力に優れ、人の使い方も上手かった。

ただそういう人なので敵も多く、とくにその自治体からはその人以外にも県議が出ていて、その県議に連なる市会議員が反市長になっていた。

 市長が4期目の選挙の時に、反市長派が若い市議を市長候補として立ててきた。市長よりも20歳も若い市議だった。結果、「長期政権批判」と「若さのアピール」で、現職は敗退して、若き市議あがりがトップの座についた。

 この新市長が、前市長とは真逆の人だった。学生時代から集団の中心には近寄らず、脇で少数のグループをつくって満足するタイプで、真面目、引っ込み思案、しかしプライドだけは高いといったタイプ。灰汁もなく、行動力、交渉力、判断力も培うことができなかった。

 ただ、神輿は軽い方がいい。だから反市長派の議員たちに担がれて、あれよあれよという間に市長になってしまった。リーダーシップのないトップの誕生である。

 これは今回のJALの航空機機長をセウォル号船長に任せるようなものだった。何もなければ問題は起きないけれど、行動をとらない、他組織と交渉しない、新施策について判断をしない、こういったリーダーのもと、水面下では組織が侵食されていく。腐っていくと言ってもいい。

 しかし大きな組織になると、こういった可もないが不可も目立たないという人材が重用される。バカだから軽く飴をしゃぶらせておけば部下たちのいいように動かせる。ゆえに任期は長期にわたることが多い。だが、そうなると自治体(組織)はさらに腐敗していくことになるのである。

 話を戻したい。羽田の事故のもう一方のリーダーのことである。情報があまり出てきていないので、詳細には解らないが、少なくとも39歳の機長が判断ミスを犯したということは確からしい。

 新聞記事によれば、管制塔から「ナンバーワン。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」と指示が出ている。これに海保機は「滑走路停止位置C5に向かいます。ナンバーワン。ありがとう」と応じている。

 本来ならこの指示通り滑走路手前の停止位置で海保機は停まるべきところを、そのまま進入してしまったことから今回の事故が発生した。

 海保機(ボンバル300)の機長は操縦席の左側に坐っていたはずだ。とすると、海保機の進行方向に向かって右側から着陸態勢に入っているJALの機体が見えたのではないか?気が付いていれば、何らかの行動、判断が取れたのではないか?

 あるいは、管制からの指示をしっかりと把握していれば、何らかの忌避行動をとるために活動し、あるいは機長も亡くなっていたかもしれない。

 海保機のリーダーは機長である。彼の下に5人の部下がいた。5人の命を預かるという責務は重い。

 事故直後に海保機の機長は「滑走路への進入許可を得た上で、滑走路内に進入した」と報告したという。これは明らかに間違っている。この点についてもリーダーとして、明確な事実を語るべきだろう。

 リーダーとは組織の大小は関係なく、その組織の命運を握っているということ。そのことを忘れては絶対にいけない。