平和の極み ファンタジー大河

 正月の番組を眺めていたら、NHK大河ドラマ「光る君へ」の番組宣伝が多かったなぁ。SNSでも。

NHK大河ドラマ「光る君へ」脚本・大石静さん「吉高由里子の陰と陽が紫式部の気難しい感じにマッチ」記者会見詳報(上)》

https://news.infoseek.co.jp/article/iza_FSOL3VIJXBGXXA4L6CKUD73JOY/

みたいに、けっこう宣伝に余念がない。

ただ、果たして紫式部の活躍が1年間の大河ドラマに相応しいのか?ということを左巻きNHKは考えないとダメだよ。

 過去の作品を確認すると、もちろん幕末、戦国がダントツに多い。当然だよね、混乱期ゆえにドラマの中の人物が活発に躍動し、視聴者にもその思いが伝わってくる。

 その他にも源平、赤穂浪士の時代も多い。つまり騒乱、戦いの中で人間がいかに己の信念を貫いて生きていくか、時代を創っていくかというところが感動を伝えていくものと思っている。

 それが「紫式部」が主人公とは(ポテチン)。

紫式部、異説もあるけれど天元1年(978)に生まれている。彼女が成人して「源氏物語」を成立させるのが寛弘5年(1008)30歳のときということになる。2年後に「紫式部日記」の記述が終わっている。寛弘2年に中宮彰子に仕え、その後一旦は退くのだが、寛仁2年(1018)に再び彰子のもとに出仕している。その翌年にも消息が伝わっているが、その後の消息は記録に残っていない。ゆえに没年も判らず、紫式部は歴史の中に消えた。

 仮に紫式部が50年の人生を全うしたとして、その間に戦乱らしい戦乱は、寛仁3年(1019)の「刀伊の入寇」、長元1年(1028)の「平忠常の乱」くらいしか思い当たらない。どちらも平安京からは遠い国の出来事で、内裏の女御たちにはなんの影響もなかったし、下手をすると知らなかったかもしれない。せいぜい正暦1年(990)に源頼光丹波大江山に賊を討ったくらいが近い戦いという程度で、まことに平安な時代が続いていたのである。

 作家でフランス文学者の中村真一郎が著作でこう言っている。

《『源氏物語』は、古代王朝のデカダンス(退廃的な傾向)の時代の、ひとりの宮廷女性が、鋭い観察眼と豊かな想像力を働かせて書いた物語で、当時の京都に住んでいた、ほんのひとつまみほどの貴族を楽しませることを目的とした作品》だといい、《腐敗した摂関政治の時代の、腐敗した貴族社会の空気を恐ろしいほど生きいきと伝えている。》と解説している。

 はたしてこういう時代が大河ドラマになるんでしょうか?世界的には、あちこちで戦争が起こり、東西対立も激しくなって、自由と民主主義を標榜する先進国家群はやや形勢不利になっている。

 もっと国を守るために戦う尊さを伝えなければならない時期に、

「人にまだ をられぬものを 誰かこの 好きものぞとは 口ならしけむ」

(人にまだ 口説かれたこともございませんのに、どなたがこのように浮気者などと評判を立てたのでございましょう)

 なんて歌っている場合か!ちなみにこの歌は『紫式部集』の128番で、まぁ平和ボケした、快適な貴族の生活の中での間延びした話ですわ。

 紫式部とご同様の平和なお花畑に生きる連中の目論見のせいで、憲法9条をご大切にしてきた結果、災害能登半島地震に駆け付ける自衛隊は交通ルールを守ってしか現場に駆け付けられないという間抜けな話になっている。

 NHKがこの時期に敢えてこの「腐敗した摂関政治の時代」を当ててきているとすると、某国のこの国のマスコミへの浸透はかなり進んでいると思わざるを得ない。

 全編がファンタジードラマであることは論を俟たないが、それにしてもNHKの間違った歴史の刷り込みにはほとほと愛想が尽きる。

 これが国営放送とは、世も末じゃ。