独裁者?

 ネットで見つけたんだけど「没落!処刑された有名な独裁者たち」というのがあって、サダム・フセインムッソリーニカダフィー大佐、チャウシェスクヒトラーなどと並んで日本の首相東條英機(歴史上の人ということで敬称は省く)が並べられている(別におもしろくもなかったのでURLは載せない)。

 ワシャは東条英機が嫌いである。軍官僚、首相として悪手をいくつも実行し日本を敗戦に誘導した政治家だと思っているからね。

 だからといって東條を、フセインムッソリーニヒトラーのような独裁者だと言われると、「それは絶対に違う」と断言する。

 東條は、居並ぶ独裁者とはまったく一線を画する人物であった。陸軍中将を父に持つ二世軍人であり、あまり優秀でない軍官僚だった。生真面目、律儀、小心者、抽象的思考力の欠如、国際情勢への俯瞰力のなさ・・・などと列記すると、あらら岸田首相によく似ているなぁ。

 そういえば東條も「すぐに手帖を取り出してメモをする男だった」と先輩の陸軍大将が言っている。ね、一緒でしょ(笑)。

 とてもじゃないが、独裁者などとは到底名乗れぬ軍官僚上がりの政治家だった。そうそう、東條首相が東京のゴミ箱を確認する視察の写真が残っているが、この間、スーパーを視察した岸田さんとオーバーラップしました。どちらも町内会長くらいなら立派に全う出来たんでしょうがね。

 そのことを東條自身はよく判っていて、総理大臣も自分から望んだわけではなかった。たまたまお鉢が回ってきた独裁者なんて歴史上存在しない。

 このあたりをちょいと説明します。

 東條は昭和9年に49歳で久留米旅団長に補されたが、1年で師団付に異動している。師団付というのは、その後、予備役に回される可能性もあって左遷と言ってもいい人事だった。ところが仲間のお引きがあって、憲兵隊司令官に任じられている。戦闘部隊の指揮官というよりも憲兵隊(風紀係)のほうが似合っていたようだ。あまり武人としては精彩がないというか・・・。

 この後、近衛内閣、陸軍内部の人事抗争などがあり、すったもんだの末、東條が陸軍次官に任ぜられたのが昭和13年。左遷から3年で次官までたどり着くとは運がいいと思うでしょ。それが違うのである。

 昭和12年に始まった日支事変がこじれにこじれ、収拾がつけられない近衛文麿内閣、政権を投げ出した平沼騏一郎内閣、短命の軍人内閣が2つ続き、回りに回って東條が首相となった。要するに貧乏くじを引かされたわけである。

 昭和天皇は戦争に反対していたが、軍部は対米開戦の準備を進めていた。「ハル・ノート」を突き付けられ、日本という舟は「滝壺の真上にあって舵の取りようがなかった」と、当時の軍務局長が言っているくらい政権は混乱していた。このあたりも岸田内閣にデジャ・ビュを感じてしまう(恐)。

 どうでしょう、こんな経歴の人が「独裁者」と言えるかどうか?

 もう一つ、エピソードを挙げておきたい。東條の妻のことを書いた本をワシャは持っているのでそこから引きます。

 佐藤早苗『東條勝子の生涯』(時事通信社)の中に独裁者の妻が陸軍病院の傷病兵を見舞う時の話がある。東條の娘が慰問に行った際、病院関係者から聞いた話である。

「あなたのお母さんは偉いお人ですね。よく病院に見えますが誰も総理の奥様とは気づかないくらいつつましく、よく気のつくかたです。病院の玄関をお入りになる時でも必ず無造作に脱ぎ捨てられた靴を全部揃えてからお入りになります」

 独裁者の妻がそんなことやります?

 さらに陸軍病院に行くときも電車とバスを使って行っていたという。

 こういった事例から、ワシャは東条英機を独裁者ではないと言い切れる。能力はなかったが、最期に極東裁判という戦勝国の報復のための私刑に甘んじた人であり、靖国に祀られるべき人だと思っている。

 

 おまけ:それにしても妻の出来は、東條首相に軍配が上がったね。アメリカまでいって、LGBTを吹き込まれて戻ってくるような愚妻ではどうしようもない。

 ぜったいに公共の場所の靴は揃えたりしないだろうし。高級車での送迎付きだし。