終戦記念日

 なので、先の戦争について……。

 あの時代、陸軍に二人のエリートがいた。一人は首相まで極めることになる東條英機、この人については説明はいらないでしょ。もう一人は陸軍参謀として活躍するのだが、東條に疎まれ地方官に飛ばされる。最終的には予備役に回されて終戦をむかえた。
 ワシャはこの日記にも度々書いてきたけれど、東條という軍人が嫌いである。この人物が陸軍の中で頭角を現したことが日本を敗北に導いたと思っている。
 東條に対比されるもう一人の男が石原莞爾である。彼には多くの熱狂的な信者がいる。ワシャはそれほどのファンではないが、東條より石原を支持したい。石原が東條と逆転していたら、おそらく日本はあんな悲惨な8月15日を迎えなかったのではないか。敗けるどころか、おそらくはイーブンに持ち込んで帝国の版図をそれほど減らすことなく平和条約までたどり着いたとさえ考えている。
 石原は いろいろな世界構想を持っていた。それは実際に出版もされている。「世界最終戦」や「戦争史大観」などの文章として今も読むことができる。
 おそらく彼の世界構想、外交思想、東亜連携方針などを確認する限り、大きな踏み誤りはなかった。石原が日本軍の中枢に残っていれば、戦局はもう少し別なものになっていた可能性は高い。
 片や東條。第40代の内閣総理大臣である。東條はいたって真面目で気の小さい役人気質の軍人だったことは、史実として明らかにされている。この手の小物が一国の采配をとってしまったところに日本の悲劇はあった。平和な時期にどこぞの財政吏員でもやらせればいい仕事をしたに違いない。しかし時代が彼に要請したのは厳しい時代の国の舵取り、列強を敵に回しての世界戦争だった。
 残念ながら、東條はその器にはなかった。会議の最中にも、すぐに手帳を取り出してカリカリとメモを取る、視察と称して東京の下町のゴミ箱を確認して回る……、一時期、東條はヒトラーと並べられたこともあったが、まったくモノが違う。東條は逆立ちしたってヒトラーどころか金正恩にすらなれない。石原は「東條上等兵」と呼んでいたそうだが、ワシャは「東條町内会長」と呼びたいくらいだ。
 繰り返すが、軍人、指導者としての才能はまったくなかった東條だが、吏員としての能力はあった。とくに組織内でライバルの足を引っ張ったり、権力を握った際の反対勢力への報復ということには長けていた。
 このため本来は、日本の生命線の満洲でその力を存分に働かせなければならなかった石原を舞鶴の司令官という閑職に左遷してしまう。
 東條自身が無能であってもいい。自分が無能であることを理解さえできれば優秀な部下を使って仕事をすればいいからね。しかし、東條は顕かに自分より優秀な石原を許せなかった。このあたりが小物なのだが……。そして最終的に予備役ということで軍から排除してしまうのだった。
 こういった報復人事、気に入らないやつを中枢から排除するということは、組織の中では往々にして行われる。嫉妬、怨嗟の人事は小心者が権力を握るとよく起きることではある。これが小さな自治体での話なら笑い話で済むが(当事者は笑いごとではないだろうが)、一国の不沈がかかったときにこうなってしまうと悲劇以外のなにものでもない。
 世界情勢よりも目の前のゴミ箱の中身が気になる、それでは大きな構想は建てられまい。東條は天皇陛下に次ぐ地位にあったわけで、当時の日本という国家のナンバー2であった。ここにケチな人物が納まって、ケチな報復人事をやっているから、8月15日がやってきたとも言える。
 戦後、石原もGHQから尋問を受けるが、石原は堂々と論陣を張って傲慢なGHQに鉾を引かせたのだった。
「戦時中、日本の軍隊が多くの悪いことをしたことは否定しない。私は特に東亜諸民族にたいしては、平身低頭、謝罪する。しかし、戦場の興奮によって、非戦闘員を侵害することは往々にしてあり得ることだ。むろん忌むべき行為であるが、これらの偶発的な事件と、計画的な大虐殺とは根本的に違う。トルーマンアメリカ大統領)の行為こそ、戦犯第一級中の第一級の行為である」

 先日、ある中堅企業の総務部長と話す機会があった。彼はワシャの友人なのだが、こんなことをこぼしている。
「最近、社員の扱いが粗末になってきてね。社員をみているとかわいそうで、仕事に生きがいを見出せないというか……」
 派手になってきた社長はあちこちを飛び回っている。実権はナンバー2の副社長が握っていて、これが内向きで細かい吏員タイプらしい。社員の前向きな仕事への情熱をことごとく握りつぶして、そのことが社員から情熱を奪っているという。だから専務以下もヒラメになってしまって、組織が面白くなくなっているという。
 だからさ、東條英機から石原莞爾に替えればいいんだって。
「組織が腐る前になんとかするのがお前の仕事だろう」
 そう言っておいた。