独り語り、ピンとキリ

 昨日、所用があって名古屋へ出る。午前中、といっても昼少し前の快速に乗った。土曜日だからか、車両はほどほどに混んでいる。ドア周辺には立っている人もいて、どこかに席は空いていないかと眺めると、通路の左側の席が1席だけ空いている。通常JR快速のシートは簡単に方向を替えられるんだが、なぜかその車両は右側が進行方向を向き、左側が反対の方向を向いていた。だからちょうど右側と左側の客が顔を突き合わせるかたちになる。でもいいや。本もバッグに入っているし、iPadも持っている。どうせ金山までのことだから、反対側の客と対面していても気にならない。

 ということで、その1席だけ空いたところに座ることにした。窓側には野球帽をかぶった60歳くらいかなぁ、労働者風のオジサンが座っていたので、手で「ごめんやっしゃ」と仁義を切って、豊橋を向く格好で席についた。

 なにしろ暑い日だったので、早速、扇子を出して仰いだ。車内は冷房もほどよく効いておりありがたい。大声でしゃべる外国人もおらず、快適な車内だと思っていた。

「暑いときは扇子がいいねぇ」

 と、突然、隣のオジサンが言ってくる。ついワシャは「あ、どうも」なんて返事をしてしまった。そうしたらね、そこからオジサンの長~い独り言が始まったんですよ。それも割とでかい声で(泣)。

 最初は、阪神の優勝の話題から語り出す。選手がどうの、監督がどうの、あの時の守備はどうの、と続いていく。元が静かな車両だったので、どうだろう、ワシャを含めて周囲の15人くらいは、オジサンの話を聞かされる羽目に陥った。

 ちょうどワシャの斜め前に女性が2人、その後ろにも2人の女性がワシャに対面する格好で座っている(ただし後ろの窓側の女性はシートに隠れるので、頭の部分しか見えないので、表情はわからない)。ワシャからは3人の表情は伺えるんだが、オジサンの語りが始まってから、3人とも表情が少し曇ったように感じた。

 ワシャはとくにリアクションは取らないし、もちろん返事もしないのだが、オジサンはワシャに語りかけてくる。それが止まらない。大府駅を過ぎたところで、ついにワシャは口を開いた。

「オジサン、オレは野球にまったく興味がないんで話を止めてくれる?」

 と言った時、対面する女性3人の顔に安堵感が広がったのを見逃さなかった。もちろん前後のシートの客の表情は伺うことはできないが、ホッとしただろうね。

 そうしたらオッサン、敵もさるもの引っ掻くもの、20秒くらいの沈黙の後、話題を自分の病気の話に切り替えやがった。

 どこそこの医者に行っている、そこが不親切だ、医療費が高い、治療がきつい、鍼灸が効くようだ・・・と、また延々と話し始める。再び、女性たちの顔が曇っていく。ワシャは金山で下車するので、置き土産だと思って、熱田を過ぎたあたりでこう言ったのだった。

「オッサン、声がでけーよ、それに誰もアンタの病気の話なんか聞きたくない。黙れ」

 と、静かな口調で忠告した。

 オジサンは、それから金山に着くまで一言もしゃべらなかった。静かな車内がもどったことを確認したワシャは、金山で下車したのだった。

 

 金山から地下鉄に乗り換えて、東別院までゆく。地下鉄もけっこう混んでいて、どちらにしてもすぐに降りなければいけないので、入り口のところで日傘を支えにして立っている。目の前のガラスを見ると、「およよ」すごい別嬪さんがガラスに映っている。ということはワシャの左隣の人が別嬪さんだ。ガラスの反射とはいえ目を合わせるのも失礼なので、目を見ずに観察をした。

 いえいえ、いやらしい気持ちなんぞありませんぞ。ワシャは単に人間観察が好きなだけなんでおます。

 ストレートの髪が綺麗な、切れ長の目に鼻筋のとおった、顎の細い女性だ。東別院で降りるのを止めようかと思ったくらい、最近ちょいと見かけないジンビーでした。芸能人かな?でも、ワルシャワは東別院で決然として降りたのでありました(泣)。

 

 昨日、東別院周辺にある某所で、ある歌舞伎役者と秘密の会合が開かれた。歌舞伎ファンとしては、これに参加しないわけにはいかない。だから、暑かろうが、ヘンなオッサンに絡まれようが、ワシャは行く。

 その会合の内容は、主催者から「SNSでは拡散しないで」と言われている。秘密なんですけど、ワシャの日記はSNSではないので、まぁ、大丈夫だよね。

 ある歌舞伎役者が、名古屋までやってきて、「独り歌舞伎」を演じる。これがすごい。今回は「俊寛(しゅんかん)」という大ネタを取り上げた。「平家女護島(へいけにょごのしま)」とも言われる時代もの。主人公の俊寛僧都(しゅんかんそうず)は、平清盛へのクーデターを企んだ罪で九州の南380kmの絶海の孤島である喜界島に流される。そこで繰り広げられる人間ドラマが悲しい。

 ワシャはこの狂言を本舞台で何度も観ているが、上手から大船が現れたり、巨大な崖が回転してみせたりとなかなかスペクタクルな歌舞伎である。登場人物も主人公に、二枚目、悪役、海女など主要な役だけでも6人、その他の侍や水主(かこ)まで入れると20人を超す大舞台だ。

 これを一人で演じてみせるというから生半な技術ではこなせない。しかし、その歌舞伎俳優は1時間を演じきった。なんの背景もない寺の本堂に絶海の孤島を再現し、そこで激烈なる人間ドラマを繰り広げた。

 ワシャは過去に、富十郎吉右衛門勘九郎幸四郎で観ているが、「俊寛」は何度見ても、おもしろい。今回の独り歌舞伎に参加し、また「俊寛」を舞台で観たくなったなぁ。昨日の解説を踏まえて観ることで、また深い感動を味わえる、そう思ったのだった。

 

 電車の無教養な暇人の独り語りは最悪だったけど、東別院の精進を重ねた役者の独り芝居は最高だった。