アホのワシャ

 ワシャはこの日記でも自分のことを「アホ」だと言っている。これは本当に「アホ」だと思っているからであって、そこにはなんの謙遜もない。ところがこのところ、ワシャの認識がまだ甘いということを再認識している。やはり自分のことは身びいきして考えてしまうのだなぁ。
 評論家の呉智英さんが推薦する『中国思想史』(KKベストセラーズ)である。もちろん呉さんの推薦本なので速攻で購入する。解説を呉さんが書いてみえるので、そこから丁寧に読み始める。読み始めて、呉智英という巨大な山を実感した。これは、百年勉強しても追い付けるものではないなぁ……。いえいえ、皆さんなら20年とか30年の刻苦勉励で呉さんの域に達するかもしれませんが、ワシャは「百年でも無理だな」と感じた次第である。呉さんの解説でそれほどの才の差異に身をつまされる。いわんや小嶋祐馬をおいておや。

 作家の東良美季さんの文章を読んでいても、そんな感覚を味わう。東良さんは映画評の中でさりげなく《つまりこれはデヴィッド・リンチなんかを見慣れた眼で再見すると、難解で壮大な世界観の中にも、映像と言葉を使い弁証法的に説明してくれている部分が多いからだろう。》なんて文章を書く。
デヴィッド・リンチなんてあんまり見たこともないし、壮大な世界観って言われても卑小な自己周辺しか見えていないし、東良さんのように、映像や音楽について深い知識を極めている人の解説は凄い。
 その点である。ワシャは薄っぺらな知識、上っ面だけの知識で呉さんや東良さんと話をしようとする。あちらも阿呆と話を合わせるのは苦労されたと思う。15年前にもう一度勉強をし直さなければ……と一大決心をしたが、『中国思想』というジャンルを一つとっても、『デヴィッド・リンチ』という映画監督一人の作品だけにしても、深遠な世界である。

「読書百遍意自ラ通ズ」

 百遍読めば、観れば、『中国思想史』や『デヴィッド・リンチ』の意も伝わってくるのだろうか。
 伊藤整がこんなことを言っている。
「読書百遍意自ラ通ズ、という。しかし意がやがて通ずるようになるのは、読書のほうではなくして生活についての理解、人間性の理解がその文章にまで戻って来るからだろう」
 ううむ、だんだん混乱してきた。