政治家の惰眠

《川勝・静岡県知事、改めて「給料返上」表明へ》

https://news.yahoo.co.jp/articles/5356343cbf449f4e765f3692b9ae0199126e260b

 これは恥ずかしい。知事だからどうだという話ではありません。人としてこれをやってはいけない。

 どんな状況であれ、自分の県を県知事がくさしてどうする?そこを責められて、「給与と賞与を返納する」と口走ったなら、それは知事が県民に約束したことと同じだ。とくにこのオッサン、「富士山に誓う」と言ったんだから。静岡県民が霊峰富士に誓うということは、熊野牛王神符に起請したも同じこと。これを反故にすると大変な天罰が落ちるということで、戦国武将たちも恐れたというほどのものである。ところがこのオッサン、落語の「三枚起請」の花魁黄瀬川のごとく県民、県議会を手玉に取ったつもりなのか。

 その結果、「給与と賞与を返納する」はされないままうやむやになりかけたが、天網恢恢祖にして漏らさず。「返納していないじゃないか!」と追及されると、「そんな約束はしていない」とか「条例提出ができないと思っていた」とか言い訳ばかり。しかし、ついに進退窮まって、ようやく「給与返上」表明になったんだとさ。こんな詰まらぬことに足掛け3年もかけてなにをやっていることやら。リニアの妨害についても支離滅裂だし、静岡県民よ、なんとかしてくれよ。このオッサンが君臨しているので、愛知県知事がいつまでたっても1位になれないじゃないか(笑)。

 

 ソクラテスは「民主制」と呼ばれる衆愚制に殺されたことはあまりにも有名だ。多数に決めさせることの危険性はつねに考えていかなければならない。ヒトラーナチスだって、正式なる選挙によって選ばれている。静岡にしろ沖縄にしろ県民の多数によって知事を選んでいるわけで、リニアがいつまで経っても通らない、沖縄が自治区になってしまうってのは、県民が選択しているからなのである。

 これを打開するのは生半なことではない。「衆愚」ではなく「賢明な大衆」を、「知識人」ではなく「教養人」を育てることが喫緊の課題だと思っている。

 

 ソクラテスプラトン孔子ですら「民主制」「民主主義」などというものは、政治形態としては「悪い」「愚かな」制度としている。ただし、支那北朝鮮、ロシヤのような独裁全体主義はさらにその下の形態なのでどうしようもないんだけどね。

 政治というものはことほど左様に難しい。政治を実践するものは、川勝を含めて、教養をつけろ!東京大学で知識ばっかりを詰め込んでみても(川勝は違うけどね)、せいぜい、料亭の板長に扮装するのがせきの山だ。「知識」を醸成して「教養」に高めて、はじめて「民主制」という欠陥だらけの制度が何とか使える。政治家よ、目覚めよ。