お染の七役

 先日。御園座に行ってきた。「陽春花形歌舞伎」を観に行ってきた。友達のパフェ君ありがとう。

 昼の部で、演目は「於染久松色読販(おそめひさまつ うきなの よみうり)」、一般的には「お染の七役」として有名である。四世鶴屋南北作の歌舞伎狂言で、文化10年に江戸森田座で初披露となった。1人の女形が「油屋の娘、お染」「油屋の丁稚(実は元武士)、久松」「久松の許嫁(いいなずけ)、お光」「奥女中、竹川」「芸者の小糸」「ヤクザな姐御、お六」「油屋の後家、貞昌(ていしょう)」の七役を中村七之助が「早替わり」で見せてくれる。これがかなり面白い。舞台上でパッパと七之助が替わっていくと会場から「おおおお!」とどよめきが起きるのだった。三幕七場の通し狂言は見どころたっぷりで充分に歌舞伎を堪能できた。

 七之助もいい役者に育っていますなぁ。来月に四十になるのだが、間違いなく玉三郎の次を担っていくのは七之助と言っていいだろう。声、仕種など玉三郎を彷彿とさせる。始めて七之助を観たときには、まだ子供だったが、ここまで成長してくれるとは(涙)。役者の成長も楽しめる、これが歌舞伎の醍醐味と言っていい。

 さて、ワシャは過去に「お染の七役」を観ている。平成15年の御園座、その時は中村福助のお染だった。でね、夜の部だったんだけど、「お染の七役」以外にも「俊寛」と「年増」が掛けられている。だから見ごたえがあった。

 役者不足の令和の御園座は1本だけになっている。寂しいのう。

 平成25年にも、やはり御園座で「お染の七役」を楽しんだ。この時も夜の部で福助だった。これも単独ではなく、もう1本「西郷と豚姫」という狂言が掛かっている。ちょうど10年前で、御園座と言いつつ、伏見の御園座は建設中だったから、御園座名古屋市民会館を借りて講演を行ったものである。あらら、あれからもう10年が経っているのか。その翌年に福助は「中村歌右衛門」を襲名する運びになっていたが、病に倒れ襲名できないまま現在に至っている。

 歌舞伎公演はきわめてハードである。とくに大看板は舞台に出ずっぱりで、「お染の七役」でも、福助七之助は2時間半を駆け回っていた。あの姿を見ると、歌舞伎役者が短命なことがよくわかる。

 やはり先日、BSで十八代中村勘三郎コクーン歌舞伎を観る機会があった。それなんか見る(「観る」と使い分けています)と、勘三郎は汗だくだくで佐倉宗五郎を演じていたが、「だくだく」どころではなく、露出している顔、腕などから汗がしたたり落ちているのである。こんなハードな仕事をしていては、長生きはできないだろう。

 今、歌舞伎役者は看板役者が次々と去って、まことに心細いばかりである。しかし、勘九郎七之助、十三代目團十郎白猿、四代目猿之助菊之助が成長してきて、獅童松緑、松也、幸四郎愛之助などを入れ込んでも、まだまだ役者が足りない。三代目猿之助が実行したように、若手からモノのいいのを大抜擢して、大看板に仕立て上げてもらいたいものだ。

 少なくとも休日の御園座は大入りである。役者がそろえば、演目は綺羅星のごとくある。歌舞伎は歴史の文化ではなく、現在進行形のエンタテイメントなのだ。「お染の七役」を見てくだされ。ホント、2時間半があっという間ですから。

 あ~楽しかった。