至宝

 坂東玉三郎である。おそらく歌舞伎の永い歴史の中でもトップクラスの役者であることは論を俟たない。歌舞伎ファンとして、玉三郎と同時代を過ごせたこの幸福はいかばかりであろうか。
 歌舞伎役者といっても、ピンからキリまでである。もちろん玉三郎はピン、現役者の中でもピン、歴代でもピンチームに属している。
 ついでに、キリの話もしよう。血統がよくても華のない役者はいる。でもね、名前は出さないけれど「もう少し精進しろよ」という役者が多いのも確かである。
 華のある役者が彼岸に逝っちゃったり、引退したりしたから仕方がないといえばそうなんですけどね。だから現状では精進不足の役者も使わざるをえない。

 十二月大歌舞伎でも、看板といえるのは玉三郎で、満員御礼も玉三郎一人のお蔭と言っていい。尾上松緑や松也では2156の席を埋めるのは至難の業だし、中車(香川照之)は歌舞伎の緊急避難的な役者だし、梅枝、児太郎、壱太郎ではまだ若い。歌舞伎座でこの有り様である。いわんや御園座あたりにおいてをや。
 1月の初春大歌舞伎のチラシももらってきたが、核となっていく若手は七之助幸四郎猿之助。久々復帰の福助もいる。ベテラン陣では白鸚吉右衛門梅玉、ワシャ的には米吉がいるのがうれしいのだが、やはり玉三郎に匹敵する華がない。七之助の熟成はまだまだ先の話だしね。
 つまりなにを言いたいかというと、玉三郎が掛替えのない歌舞伎役者だということである。

 その奇跡のような役者が、今回「壇浦兜軍記」という狂言を演じる。この演目は、女形が主人公のものの中でも、とくに難しいものと言われている。どうしてか?それは、この演目の中で主人公の阿古屋は、琴、三味線、二胡を見事に弾きこなさなければならないからである。師匠について習いました……のレベルではダメなのだ。それぞれの楽器を師匠レベルで弾きこなせて始めてこの役が務まる。60年前の歌舞伎座新春公演以降、2人の役者しかそれを演じていない。昭和の大名人の中村歌右衛門玉三郎である。
 その玉三郎の舞台が観られるというのは、おそらく最終だと思っている。だから、琴、三味線、二胡の演奏を聴き終わって、感極まったワシャは涙ぐんでしまった。
この体験は2156人×25日=5万3900人の人しか味わえない。玉三郎は3年おきに、この演目を演じてきたものの、3年後に古希をこえてこの役を演じきれるかどうか。

 嗚呼、玉三郎に会えてよかった。