ポンコツの弁護士

 今日の中日新聞県内版が笑える。タイトルは「ポンコツの弁護士が見た戦後」・・・間違えた。「反骨の弁護士が見た戦後」でした(笑)。

 自衛隊イラク派遣差し止め訴訟の弁護団長が言う。

「国際平和をしっかり背景に置いて、日本の憲法、あるいは自衛隊をみる。そういうこときっちりやるのが司法だと思う」

 この弁護士の言う「国際平和」というものがどこにあるのだろうか?第二次世界大戦の後、世界に戦争・紛争がなくなったことはない。背景に置きたくたって、このオッサンの「国際平和」っていうのは、オッサンの頭の中だけに咲いているものだから置きようがないわさ。

 オッサンはさらに言う。

「日本国が自国防衛のために最小限の軍備を使おうというルールに従う意識がなくなった」

 おいお~い、オッサ~ン、起きてるか~い。

オッサン、ウクライナの現実がまったく眼に入っていない。最小限の軍備では自国の防衛ができないことは、連日連夜、テレビや新聞から垂れ流されてまっせ。ウクライナが最小限の軍備しか持たなければ、ウクライナ全土でブチャの虐殺が実行されていただろう。

 オッサン、まだまだ妄言を垂れ流す。

憲法が自分を守ってくれた」

 くれないって。

「どんなに強い武力を持っても、相手もすごい武力を持っている。エスカレートすると戦争になる。戦争になると必ず人が死ぬ。それでいいのか」

 小学生の発言か?

 戦争は、戦力の不均衡が生じたときに発生する。まさに冷戦時代の米ソがその典型で、双方が核兵器武装しているので、戦争が起きなかった。今回のウクライナ戦争は、ロシヤとウクライナの軍事バランスが不均衡だったのでプーチンに侵略の決断をさせた。ウクライナが核放棄していなければ、絶対にロシヤはウクライ侵略をしなかった。

 レーガン大統領の時代、米ソの軍拡競争がエスカレートしたが戦争は起きなかった。「戦争になると必ず人が死ぬ」けれど、戦争でなくても人は死ぬ。ブチャでは戦争をしていない市民が多数虐殺されている。戦争にならなくても人が死ぬ。それでいいのか。

 記事の結びはこうだ。

《司法は、まだ生きているのか。軍備拡大へとひた走る日本で問い続けている。》

「ひた走る」っていう言い方がいやらしいよね。軍備拡大って、防衛費の中で武器・弾薬に費やしているのは2割ちょっとで、その他は人件費だったり、食糧費だったりで、その食糧費だって潤沢なものではないので、自衛隊員が自弁していることすらある。

「たまに撃つ弾がないのが玉に傷」

 これは笑い話で済まされない。日本国民としてポンコツな連中の話ばかりを聞いていると、やがて日本は戦わずして支那の属領となる。漢民族ではない属領の民族など、奴隷と同じで、奴隷はそのものも内臓も金銭で売り買いされる運命だ。

 そうならないために戦う。軍備をしておく。当たり前の話ではないか。