いやはやなんとかおさまった。
帰ってきて新聞を読む。
今日の中日新聞国際面。
《死刑制度は民主化阻む》
という見出しが躍る。ベラルーシで人権団体を率いてきた活動家のノーベル平和賞受賞に関連した記事だった。
そもそもベラルーシで「死刑制度は民主化を阻む」と言われてもねェ。死刑以前のささやかな人権すら踏み潰す独裁国家なんですから。専制のベラルーシの死刑制度を、日本の現状と単純に比較してはいけないし、わずか新聞紙面の4分の1程度で論じられるものではない。
日本の死刑制度を批判する左巻きがいるが、死刑制度を廃止している国やアメリカの州でも、犯罪者に対して警察がいともたやすく発砲し、その場で射殺するなんて当たり前だ。 死刑で死ぬ前に現場で死んでいる。それには何も言わずに、捕まえた後の死刑だけを非難するのははなはだバランスが悪かろう。
ベラルーシの人権団体の人は、「ベラルーシとロシアで真に人権が尊重されていればウクライナ侵攻も起きなかっただろう」と言う。
理想はそうさ。しかし、独裁国家ロシヤ、ベラルーシ、そして支那などはまったく人権などないから、ロシヤであり支那であるわけで、プーやペーが人権など見向きもするものか。
例えば、ロシヤでも支那でも死刑制度など必要ない。職業訓練学校と称する人権的な施設に、80歳を超える老人を収容するのである。そこで規律を乱したということで虐待し、拷問にかけ、あるいは単純に食事を満足に与えなければ、人は簡単に死ぬ。死刑制度などいらないのだ。逮捕するときにいくらでも殺せるし、収容所にいれてしまえば、強姦しようが臓器を摘出しようが権力者側のやりたい放題じゃん。
「死刑制度は民主化を阻む」って、はなから間違っている。死刑制度があったって、日本国はずっと民主的な国家で、それこそ民主主義の先頭を走っている。死刑制度に反対する連中、例えば日弁連などはバリ左翼だよね。
元論、死刑制度存続を訴える賢明な弁護士も多くいる。彼らが書いた『死刑賛成弁護士』(文春新書)は実にためになった。
ちょっと前に、死刑囚が「オレたちにも人権を!」とか叫んでいたが、おいおい、オメエら、テメエの人権を主張する前に、オメエらがその命を奪った被害者の人権を考えろよ。被害者家族、被害者の関係者などの人権を尊重したのか!人の命に一顧だにせず、ニヤニヤしながら殺害に及んだのではないのか!どこに「テメエの人権」を主張する余地があるのかニャ?
まず、テメエの犯した罪に真摯に向き合って、テメエの命をもって償うくらいの意識を持てっちゅうの。テメエのことなど二の次で、まず被害者、被害者の方々に謝罪しろってえの。この「死刑囚に人権を」と叫んでいる弁護士はもちろん死刑廃止論者である。
「日本の死刑制度廃止」を訴えるのは左巻きが主流である。その真意、その深意には必ず反日、親中が勧誘されている。このあたりは特に注意しないといけないよね。
新聞の見出しだからと言って「死刑制度は民主化を阻む」などというたわ言を真に受けてはダメだ。ほぼほぼ左翼新聞紙、地上波メディアなどはまともなことを言わないと思ったほうがいい。