今朝の朝日新聞。オピニオン欄がいつもどおりおもしろい。バカ社説は後程ということで、今日は投稿も粒がそろっている。アカ粒と言ったほうがいいか(笑)。
岡山県の弁護士が《多数決では奪えないものがある》と題して、「社会には多数決では決められないことがある」と前置きをして、「多数決では奪えないことがあり、それが人権だ」と主張する。でね(笑)、結論は「民の声は決して神の声ではありません。人権と、それを守る憲法こそ神の声と評価できると思います」というまことに陳腐である。
いいかい、もちろん民の声が神の声であるわけがない。しかし、神の声のない状況で、多くの民が望むことが、優先されるべき声であることは論を俟たない。民がいかに衆愚であろうとも、現時点でこれにまさる意思決定方法は見当たらぬ。この左巻き弁護士は「憲法が神の声」と言うけれど、その憲法はコミンテルンに影響を受けた赤色GHQが1週間で決めた声でっせ。それを70年、崇め奉ってきた左翼の皆様には「神の声」なのかもしれないが、普通の常識を持っている民から言えば、クズ憲法と言っていい。
衆愚の多数決が、ときに間違いはある。しかし、それでも多数の人が望むことを実行していくことが民主主義(完璧なシステムではないにしろ)の根幹と言っていい。この弁護士の主張する「多数決では奪えないこと」を守るのは、民度であり、思いやりであり、少なくとも世界の中で日本人ほどそれが整っている民族はない。もちろん、それは割合のことであり、そういう民度・思いやりを持っている人は支那にもロシヤにもいることは付け加えておく。
《コスタリカに学ぶ 軍事より教育》
東京の無職のオッサンは言う。
「コスタリカは平和主義を実行して常備軍を持たず、予算を教育や社会福祉に回している」
おいお~い、コスタリカって国土面積は日本の7分の1、海洋まで含めると80分の1。人口は福岡県とほぼ同じ規模。ワシャはもちろんコスタリカがすきだけれど、この規模の差を無視して、同じ考え方を当てはめようとしても、それは無理というもの。
この左筋のオッサンは言う。
「日本は戦争の反省から、戦争放棄と戦力不保持の憲法を定めた」
このオッサンも憲法ご大切なんだね(笑)。そしてこう言う。
「敵対関係の国を作らず、多くの国と平和友好関係を築く外交こそ最も必要だ」
そのとおりなんだが、隣国が何千発というミサイルをもって脅しの外交を繰り広げている。「従わなければ敵対するぞ」と言ってはばからないのは隣国だ。オッサン、それを言うなら支那に言え。
さて、「社説」である(笑)。
「防衛予算増額」について「財政先送りは許されぬ」と主張する。突っ込みどころ満載だが、「赤旗」と同じだと思えばそれなりに納得できる。さすが、反日。