8月6日の「成年の主張」の最後にこう言わせてもらった。
《普通の地方議員ということで考えると、人間としていろいろなものが衰えてくる70歳以上は「要らない」というのがワシャの主張である。》
その意見はまったく揺らがず、今日もまたその主張を裏付ける話をしたい。
司馬遼太郎である。彼は1996年に72歳で亡くなった。作家としても、思想家としても、愛国者としても、日本人として極めてモノのいい存在であった。その知の巨人が1989年、66歳の時に「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を書き、それが大阪書籍の『小学国語』6年下に掲載された。司馬さんは12歳の後進たちに「こう生きてね」と呼びかけたのである。
司馬さんは子供たちに歴史に学ぶ素晴らしさ、楽しさを説き、「もし、君たちさえそう望むなら——おすそわけをしてあげたいほどである」と言っている。そこにつながる文章が印象的である。
《ただ、さびしく思うことがある。私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。》
予言していたかのように、司馬さんは1996年、21世紀まで残すところ数年というところで鬼籍に入られた。続ける。
《君たちは、違う。二十一世紀をたっぷりと見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。》
この文章を認めた時点が66歳である。まだまだ現役といってもいい年齢で、しかし司馬さんは「自分には未来がない」と確信していた。それが年長者の謙虚さではなかろうか?小さな単位の「まちづくり」でも、未来のある若い世代に担わせることが大切なのである。66歳どころか70歳を超えれば、後進の若者に《歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことども》、歴史を「人生」と言い換えてもいいけれども、そのことを伝えることに力を尽くすべきで、「未来を造ろう」とか「将来を語ろう」というのはおこがましいのである。
ジジイの仕事は、司馬さんの言うとおり、自分の学んだことどもを伝えることだけでいい。人生に学んでこなかったものは、黙っていろ。