思秋期

 昨日の昼のことだった。ランチをとって仕事場に戻ろうと自転車で商工会議所の交差点に差し掛かった。進行方向の歩行者用信号が赤になったので停止していると、交差点を左折してきた営業車がワシャの横で減速をしたんですね。「おや?」と思って、車内を見ると、「およよ」、なんとワシャをバックアップしてくれている会社の若い幹部社員が手を振っているではあ~りませんか。たしかミャンマーに出張する前、2月くらいに会って以来なので、「お元気ですか!」と手を振りかえした。

 営業車は去り、信号が青になったので、歩道を渡ろうとしたところ、背後から「ワシャくん」と声をかけられた。「え?」と振り返ると、目玉のギョロリとした小柄なオジサンがワシャの横で自転車に跨っている。

「ああ、やっぱりワシャくんだった。後ろから見て、もしかしたらと思ったんだよね」

 あらららら、そのオジサン、中学校の時の同級生のIくんだった。特徴的な目と、中学校の頃からオッサン顔だったので、あまり変わっておらずすぐに判ったのである。

「判るか?」というから「Iくんだろ」って答えるとうれしそうに笑った。どうだろう、30年ぶりくらいの再会だと思う。

 Iくん、よほど人と喋りたかったのか、ワシャとの再会が楽しかったのか、自分の来し方を語り始めた。ワシャも懐かしかったので青信号を何回も見送って、Iくんの話に相槌を打って聞いていた。

 Iくんは仕事をしていないということで、親の介護以外にすることはなく時間を持て余しているようだったが、ワシャのほうは午後1時から打ち合わせが入っていて、時間に余裕がない。それでも10分くらい横断歩道の手前で話を聞いて、さすがに「Iくん、ごめんね。オレ、1時から会議が入っているんだ」と申し出る。

「ああ、そうだねワシャくんは忙しいもんね。この間の凸凹商事の会議の様子がケーブルテレビで流れていたんで見たよ」と言ってくれた。

 ワシャ的にも懐かしかったので、亡くなった恩師のことなど、もう少し話をしたかったが、後ろ髪を引かれる思いで社にもどった。

 社にもどると、幹部社員と連れだって、凸凹商事の前に最近できた某事務所に顔を出した。ちょうど1時である。セーフ。

 面会相手は、最近までペギラ商事の副社長をやっていた人物で、平社員時代から飲んいた仲間だった。今は求められて某事務所に移籍している。だから歓迎の意味もあって訪問し、1時間ほど、お互いの近況や情報交換をした。この人物も、それこそ2年ぶりくらいかなぁ。

 立て続けに、久しぶりの人と会って、人と人とのつき合いというものが大切だなぁと思った。

 

 そして夕方家に帰って、居間でビールを飲みながら寛いでいた。テレビはなんとなく点けてあるんだけど、そこから懐かしいメロディーが流れてきたんですよ。岩崎宏美の「思秋期」。BSテレ東の「昭和は輝いていた」が作曲家の三木たかし特集をしていたんですね。

 これがまさにどんぴしゃりだった。

「足音もなく行き過ぎた 季節をひとり見送って はらはら涙あふれる 私十八」

 ワシャは岩崎さんと同年なので、もろにワシャの青春、思春期の歌であり、このメロディーを耳にしながら、もっとも華やいでいた時代を過ごした。

 もちろん「思秋期」は高校3年の時の歌なのだが、ワシャのイメージの中では中学校後半から高校卒業まではひとつのパッケージの中に納まっている。お坊ちゃんとして育てようという親の束縛から抜け出して、ワル(それほど悪くもなかったけどね)に傾斜していった時代、自我に目覚めたと言ったほうがいいか(笑)。恋もしたし喧嘩もした。警官に追われて逃げたこともあったっけ。

 そんなことが「思秋期」に刺激されて、走馬灯のように思い出された。

 

 でね、書庫の奥から中学、高校時代のアルバムを引っ張り出してきて、それを眺めながら一杯やっていたんですね。Iくんもまったく同じ顔をして写っておりましたぞ(笑)。あれから幾星霜。でも、まだオレは元気で、充実した日々を送っている。あの頃は「なにもの」かになりたいと思ったけれど、結局、「なにもの」にもならず、平凡な人生を歩んできたんですね。

 それはそれでまったく後悔するものでもないけれど、「思秋期」のメロディーを聴いていると、「まだ老け込むわけにはいかない」と思わされた。だって意識の上では、まだ18の秋のままなんだもん。

 さて、今日は土曜日で、ワシャの同業者はみんな休業だろう。でも、ワシャは9月の会議に向けてスタートを切っている。同僚には330日くらい休業の人もいるが、その人はやはり老け込んでいる。年齢はワシャとさして違わないのだが、最近は歩くのもおぼつかなくなっているようだ。

 人というのは気が重要だ。そんなことはお釈迦さまをはじめ偉人はみんな言っている。涅槃にゆくまで気を張って生きてゆきたい。そんなことを考えた1日だった。