捨てるべきか捨てざるべきか

 ワシャはモノが捨てられない。テレビでも時々「断捨離」をテーマにした番組がやっているでしょ。モノにあふれた部屋に「断捨離」の専門家と称する婦人が現われて、不安げな表情で見守る家主の前で、思い出の品をガンガン廃棄していく。そりゃできますわなぁ。専門家と称する人は、その家にあるモノに対して何の記憶もないし思い入れもない。縁もゆかりもないモノに対して情なんか湧かないし、その人から見ればそこにあるものは自分にとって何の価値もないゴミですわな。

 しかし家主にしてみれば、小さな紙片だって宝物かもしれない。おっと机の下にレシートが落ちている。ゴミ箱に入れようとすると、そのレシートが「ちょっと待って」と囁いてくる。レシートの日付を見てみれば1989年の発行ではないか。

 ワシャは「古書の痕跡」というものを収集していて、古本屋やブックオフで古書の中にモノが挟まっているのを好んで買って来る。写真であったり、チケットであったり、押し花であったり、ときにはラブレターまで挟んである。「古書の痕跡」だけで本が一冊書けるくらいのネタはあるんですよ。

 でね、拾ってみれば、最近、繰っていた江戸文献の間から落ちたもので、あぶないあぶない、こんな貴重な古書の痕跡を危うく捨ててしまうところだった。

 ということなのである。他人にはただの古いレシートにしか見えなくても、別の人には価値のあるものだったりする。それを「断捨離」などといって一括りにして捨ててしまうというのは、ワシャのような者には暴挙に思える。

 

 昨日、駅前の書店に頼んでおいた先崎彰容さんの本を採りに行って、ついでに雑誌のコーナーを眺めていたら、「PRESIDENT」6月3日号があってね、表紙に《「捨てない」生き方》という大見出しが売ってあった。

「およよ」

 てなもんですわ。ペラペラとめくれば五木寛之さんの「人生に輝きをもたらす捨てないという選択」と題した文章が6ページにわたって載っていた。五木さんの最新刊『捨てない生き方』も気になってはいた。おそらく今日中には買うと思うが、取り合えず「PRESIDENT」のほうを読んでみた。

 五木さん、戦中戦後の物資が乏しい時代に生きてきた方なので、「モノが捨てられない」と言う。ワシャは戦中は知らないが、それでもまだ経済成長を始める前の日本の田舎に住んでいたので、その感覚は理解できる。とくに明治生まれの祖母がどこぞの土産の包装紙すらしわを伸ばして押し入れにしまっておくくらいモノを大切にする人だったので、その影響があるのかもしれない。

 五木さんの話を続ける。五木さんは言う。

《モノというのはいったん手にしたら、そこには自分の命が託される、どうしてもそんなふうに思ってしまう》

 確かに、文明開化以前は古びた茶碗や道具に魂が宿っていましたよね。最近でも肥後人吉あたりでは、招き猫の置物に魂が入ってしまうなんてことが起きています。これは一度現地調査に行かなければと思っていますが・・・。

 五木さんの話を抜粋しますね。

《断捨離ブームがいまなお続いています。そんな中で、自分はモノを捨てませんと大きな声で言うことに、どこか気恥ずかしさを感じていたのです。》

しかし今になって本などで公言するようになったのは、なぜか?

《これまで人々が当たり前のように行ってきた廃棄という行為を見直そうという声が、少しずつ大きくなってきたから》

《私がモノを捨てられないのは、それ自体に愛着があるのはもちろんですが、そのモノが記憶を呼び起こす「依り代」の役目を果たしてくれているというのも理由のひとつ》

《何もない状態で昔のことを思い出すのは、決して簡単ではありません。》

《たくさんのモノやガラクタと共に生きるのは、決して不幸なことではありません。これまで急かされるように廃棄してきた人は、一度共生というところに視点を移してみるのはどうでしょうか。案外、なんだ、こっちのほうが快適だったと感じるかもしれません。》

 ううむ、五木さんという強力な味方が現れたので、ワシャはますます「依り代」のモノが捨てられなくなりましたぞ。

 それにしても、この五木さんの文章を、別敷地に建っている物置を壊す前に読まなくってよかった。そうしたらあの物置一棟分の「依り代」が残ってしまうところだったわい。

と書きながら、物置の処分とともに廃棄した一枚の油絵のことを思い出している。

 それは高校生ぐらいの女性の肖像だった。それは、ワシャが幼い頃、祖父の家の仏間の横の鴨居に掛けられていた記憶がある。祖父母がなくなって以降、父の家の仏壇の脇に差し込まれていた。その後、仏壇を新調した時に、同じ敷地内にある倉庫に移され、何年かして別の場所に造った物置に、その他のモノとともに移動した。その物置も壊すことになって、中の物品を確認したのだが、油絵の劣化が激しく、それほどの思い入れもなかったので、鴨居に掛けられて以降、半世紀以上経過し、ついに廃棄となってしまった。

 でもね、肖像画だから人の顔で、それに永いこと鴨居に掛かっていて、ワシャは感受性の一番強い頃に毎日見て過ごしたから、脳裏には焼き付いていて、それは未だに思い出せる。それは父の姉さまの肖像で、若くして亡くなった人だった。

 失って、そうは思うけれど、劣化した肖像画を「ではどうするか?」というと、素人が書いたものでもあるし、ワシャですら知らない人で、ワシャの子供たちにすればまったく縁のない人であろう。

 自分の身に置いて考えると、捨てていくのもある程度は必要なのだと思う。五木さんが「ガラクタと共に生きるのは、決して不幸ではない」と言われるが、人が逝くときには、子供たちに関係のないモノをあっちに持っていくのもひとつの手ではないかとも考えている。