ブチャ

「ブチャ」という地名は、おそらくプーチンの侵略がなければ生涯知らずに終わったろう。ワシャがワルシャワとあだ名されてから、ポーランドにはシンパシーを感じてきたが、隣国のウクライナには、チェルノブイリ原発事故で注目するくらいで、然して興味を持つことはなかった。ましてやキーウ近郊の3万ばかりの町など知る由もない。

 しかし、ブチャは世界的に有名な町になってしまった。プーチン・ロシヤによる「虐殺の町」としてである。

 読売新聞に依れば、ロシヤ国営「ロシヤ通信」は《ウクライナ国民を「浄化」する必要性を指摘し、戦争犯罪の疑いが指摘される露軍の軍事行動を正当化する記事を配信した。》と発信をしている。

 読売新聞、9文字を挟んで「指摘」を2度も使ってはいけない。もっと文章修行しろよ。そんなことはどうでもいい。ロシヤのプロパガンダを拡散する通信社が「浄化」という言葉を使っている。これはもうプーチンによるホロコーストを明言しているようなものだ。これを自由主義陣営はけっして見逃してはいけない。

 クソロシヤは、ブチャの路上に散乱するウクライナ人の遺体について「(3月末の)露軍撤退後にウクライナ側が創作のために遺体を置いた」と主張していたが、バーカ、3月19日のテメエらが占領している最中のブチャを衛星が撮影していて、路上に散乱する遺体が映像が写っているのだ。これでロシヤの主張が崩壊した。そしてこれがその他のロシヤの嘘を炙り出すことになる。卑怯な体制なのだ、ロシヤは。

 で、やや警戒をしなければならないニュースもあって、ウクライナ外相が支那に停戦協議の仲介を要請したという。

 支那である。ある意味でロシヤよりもやっかいな全体主義独裁国家で、周辺の占領地での民族浄化のすさまじさは、ロシヤとどっこいどっこい。下手をするとロシヤの上をいく反社会組織が支那共産党かもね(ゾッ)。

 このあたりの思惑をどうすべきか?文化人類学者の楊海英さんが産経新聞でこう述べている。

《太古の昔から東西文明の交流を担い、促してきたのは中央アジア現地の人々である。ロシアと中国が暴力で世界を制覇しようとしているのと対照的に、今後も中央アジア諸国が主役になる。日本はユーラシア外交に重点をシフトすべきである。》

 仰るとおりである。暴力を振りかざすロシヤや支那中央アジア諸国は、そもそも信用していない。暴力が怖いから従っているだけのことである。その点、日本の武士道精神は高く評価されている。惜しむらくはその武士(もののふ)が武器を持っていないことである。丸腰の侍が武装した野盗集団に取り囲まれているわけで、丸腰で農民を守れますかってんだ!

 国際情勢は複雑怪奇である。けっして憲法9条を掲げていれば日本国民が安全であるわけがないことは、今回のウクライナ侵略で脳天気なデュープスにも理解できたのではないか?

七人の侍』をイメージしてくだされ。「武」を持たない侍に百姓は守れない。収穫物は奪われ、女房子供は搔っ攫われてしまう。「武」なくしては「暴力」に対抗できはしない。そんなことは高校生の時に理解しましたぞ。周辺の番長連合に対抗するために、柔道を学び、少林寺拳法の道場にも通った。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』も30回くらい見た。阿呆な高校生にも理解できることが、日本の政府レベルになると解んねえのかなぁ・・・大人の世界って面倒くさいですね(嘲)。

 

 ブチャを東アジアに現出させてないけない。それには極東の小さな島国が、柔道や少林寺拳法の道場に通って「武」を身に着けることが喫緊の課題だと確信している。