鎌倉殿も暑かった

 今朝の朝日新聞に「防災」の特集があって「気候変動」について名大の教授がインタビューに答えている。この人、「古気候学」「古海洋学」「生物地球科学」が専門だという。 Q 教授は、弥生時代からこれまでの湿度の変化を研究されています。「気候変動」の状況をどのようにご覧になっていますか?  この質問に対して、教授は「これまでにないパターン」としながらも、「日本では気温が高いと雨が減るのだが、気温が高くても雨が降るというのは矛盾している。これは海水温が上昇しているから」と答える。  まあこのあたりまでは気象学をかじっていれば当たり前の話で、「古気候学」の権威にお聴きするまでもない。ここからが大事だ。 「古気候学の研究でも、平安時代の末期と鎌倉時代の末期にかなり長期間にわたる温暖化が起きたことがわかっています。いずれも温暖化が続いている途中から降水量が増え始めて、災害が一気に広がったようです」  あれ?平安時代の末期に蒸気機関がありましたっけ??石炭を大量に燃やしていましたっけ???車が石油を燃やして世界中を走っていましたっけ????  その後の鎌倉時代の末期にも海水温が上昇し日本列島が豪雨に見舞われたことがあったと権威は言う。  木の年輪から降雨の状況を類推するらしいが、それはけっこうな研究であり、今後も日本学術会議などに入らずに頑張って欲しいものだ。  でもね、インタビューの後段はトーンが下がってくる。 「それが近年、温暖化に転じました。適度な温暖化は農作物の生育にはプラスだったかもしれませんが、今の温暖化は明らかにいきすぎている感じです」  あくまでも「感じ」なんですね(笑)。さらにこう警告する。 「温暖化はさらに加速する可能性もあります」  ここも微妙な言い回しだ。「加速する可能性が」ではなく「可能性も」ある。「が」と「も」では随分とニュアンスが変ってくる。夏井いつき先生ならこの助詞の違いで激怒するかもしれない。  この「可能性もある」に続けて、「水害の激増のような状況が続くことは古気候学からも示唆されます。動乱期となった平安末期や鎌倉末期のように、社会が不安定にならないとも限りません」と言われる。  基本的に武士の台頭や、建武の新政が温暖化と因果関係があったかははなはだ疑問だが、その頃にもあった温暖化に今もなっているだけのことではないか。  地球のCO2排出の大半は海洋からであり、人為的要因のそれはごく僅かである。さらに日本由来のCO2など誤差の内で、鎌倉殿の13人や後醍醐天皇の時代にあった温暖化と何がどう違うのかを紙面を使ってで説明しなければだめだろう。 教授は言う。 「おそらく」「いきすぎている感じです」「続くかと思います」「いけないかもしれません」「示唆されます」「ないとも限りません」「崩れていくかもしれません」「なるのではないでしょうか」  推測ばっかりやんけ! 教授の研究分野である「古気候学」については説得力があるが、「気候変動」「地球温暖化」の話になるととたんに憶測ばかりの印象だ。まぁこれが「環境原理」の原点だと思う。賢明な人はこういった潮流に流されることなく現実を見つめてくれているものと信じたい。