辛酉(かのととり)の年春正月、庚辰(こうしん)の朔(ついたち)に神武天皇は橿原宮(かしはらのみや)に御即位をされた。これが日本の建国とされる。この日を国家の祝日と定めたのは、明治5年の太政官布告であった。
その後、大日本帝国憲法が明治22年2月11日に発布され、この日はさらに意味のある祝日となる。 しかし、戦後に日本を根本的に解体しようとするGHQ(背後にはソ連のコミンテルンの影あり)によって国民の祝日から排除されてしまう。その理由として「歴史的根拠の曖昧さ」と「超国家主義の意識高揚に結びついていたこと」を以て、お花畑で平和を愛する国民にはそぐわないとされた故である。
その後、名宰相の吉田茂が日本国の「独立」の後に「紀元節」を復活させようとするのだが、このころすでに赤化が進んでいた日本歴史学協会が「学問的根拠が乏しい」として反対をしやあがった。
それでも昔の自民党はモノがよかった。昭和41年に9度目の提案で「建国記念日」を祝日にすることができたんですね。第1次佐藤栄作内閣の時のことである。あの頃の総理大臣は格好よかった。威厳があったし、大きな存在感があった。 言葉に力のない官僚答弁のような言語明瞭意味不明のことを言ってばかりの人とはえらい違いですわな。
今朝の朝日新聞朝刊のどこをめくっても「建国記念の日」という文言が見当たらなかった。最後に1面の日付のところを見たら小さな小さな文字で控えめに「建国記念の日」とありました。まあ朝日らしいので笑っちまいましたが。
とにかく「祝!紀元2682年」なのであった。