橋下vs津田

大阪府知事橋下徹さんと津田氏大介氏が対談をした。

《“あいトリ”芸術監督の津田氏大介氏と橋下氏が語った「表現の不自由展・その後」、そして“アートに公金を使うことの難しさ”》

https://news.yahoo.co.jp/articles/2bddfd56f882923c6a9c18ec74b1996e8bad2861?page=1

 津田氏、言いわけは上手いね。でも、そこここで理論が破綻して笑える。いやいや笑えない。泣ける。おもしろいので、おもしろくないけど、全文を読んでいただきたいが、そんな暇もないでしょうから、ワシャがエキスだけを抽出しておきますね。

 

 まず、のっけの津田氏の言い訳である。これはあちこちに書き散らかしている「天皇の肖像を燃やすきっかけを作ったのは富山で右翼が抗議した結果だ」と同様のことをダラダラと繰り返している。これに対して、橋本さんは《朝日新聞のインタビューでもそうした意図が書いてあったが、僕は何を言っているのかさっぱり分からなかった》とバッサリ。《考え方は自由だが、正直、それなら自分の金でやってよ》と止めを刺す。

《「芸術は税金で支えていかないといけない。芸術に口を出すな」と言うけれど、やっぱり納税者に対して一定の配慮するのが税の使い方だ。》とも。

 そして、「個人のお金でやる分には表現の自由として守られると思うが、そこはどう考えるのか?」と問う。

 これに対して津田氏は「自分の家族、自分のおじいさんなどが燃やされたとしたらいい気分はしないと思う」と言いながら《何より文脈が大事だと思う》と言う。そして《大浦さんの作品に関しても、もちろん最初に見たときには驚いたが、大浦さんが過去に受けた痛みなどの文脈を知ると、全部とは言わないまでも、理解はできる。》と昭和天皇の肖像を燃やして踏みつけたことを肯定する。

 その肯定を「でも、悩んだよね~」と言い訳をする。そしてこう抗弁する。長いんで以下の《 》の中はすっ飛ばしてもらっていいです。 

《アーティストの作品群のリーダーというか、それらを決める責任があった。同時に、愛知県職員からなる、あいちトリエンナーレのスタッフのリーダーでもあった。この二つの立場で引き裂かれていた部分があった。できるだけ円滑、安全に運営するという職員の立場に立てば、大浦さんの作品はない方がいい。一方、“アーティスト・ファースト”として、アーティストが表現をしたいものを尊重する立場を取ろうとすると、職員に負担はかけるが展示はしたい。両者は矛盾する。最終的に、僕はトリエンナーレをやる上で、アーティスト・ファーストでいくことを選んだということ。その結果、職員に迷惑をかけてしまった》

 要は、意見が対立する立場を二つ兼務してしまったと、言い訳している。バカじゃないの。「農地保全」をする農務課長と、「企業誘致」を進めなければならない商工課長をひとりで兼務するようなものでんがな。

 これに対して橋下さんが反論する。

 大阪では《「アーツカウンシル」という、評価する審議会みたいなものを作って、そこで判断してくださいということにした。あいちトリエンナーレの場合、その判断が津田氏さんという個人の感覚に委ねられてしまった。》

 津田氏は《ガバナンスに曖昧な部分はあった。》と、ガバナンスのせいにする。その上に《役人というのはサボタージュしようと思えばいくらでもサボタージュできるのに、愛知県の職員は本当にみんな優秀で、僕が物議を醸すような企画をやりたいといって持っていくと、真剣にやりとりをしてくれて、僕の判断を尊重してくれた。》

 怠け者のはずの県職員がサボタージュしてくれると思っていたら、僕の持っていったネタを尊重してくれちゃった。その結果、僕はこの企画を止めようと思っていたんだけど、ああなってしまった。だから悪いのはまじめな県職員だ。そのことを踏まえて、ガバナンスをどうしていこうかと考えていたら展示会自体が終わってしまった・・・と言っている。アホか。

 橋下さんは津田氏にこう釘を刺す。

《税金を使うということになれば、芸術だからといって自由が絶対に守られるということではない。》

 これに対して津田氏は、「コンセプトは明快だ」と胸を張る。そしてこう続ける。《日本のパブリックセクター、公立美術館などで出展を拒否された、あるいは撤去されたものを展示しようというものだ。》

 そこで橋下さん、「だったら反対の考え方の展示があってもいいじゃないか?」と詰め寄る。

 そうすると津田氏は《僕はそういう表現も入れた方が「表現の不自由展」というコンセプトをよりいろいろな人に届けるためには重要だと思っていた。ただ、作品は基本的に不自由展の実行委員の中心になって選んでいった》と、実行委員のせいにしてしまう。《すべての主導権を取れたわけではなかったし、取るつもりもなかった。》

「取るつもりもなかった」と言い切っているが、「アーティストの作品群のリーダー」であり「あいちトリエンナーレのスタッフのリーダー」でもあったと言ってたじゃん。リーダーってのはね「主導権」を取る者なのだよ。主導権を取らないなら、リーダーとしての報酬を受けてはいけない。

 橋下さん、津田氏のいい加減さに苦言を呈している。

《組織としてイベントを動かしていく時に、権限と責任の所在をはっきりしないといけないことの典型例だと思う。「芸術なんだから、表現の自由は絶対に守らないといけない」と言う人もいるかもしれないが、イベントである以上、そのコンセプトに従った表現じゃないといけないのは当たり前だ。それは検閲でも表現の自由の侵害でもないんだけどね。》

 津田氏は最後まで取り繕い続ける。

《橋下さんがおっしゃっていることは大体理解しているが、一点だけ、やっぱり違うなと思うのは、公金の使われ方のところ。納税者ほど多様な集団はいない。騒動の渦中に、名古屋のテレビ局が世論調査をしていたが、「再開して欲しいか。見たいか」という質問では賛否が拮抗していた。つまり、確かに反対の人は多かったが、賛成の人も同数くらいいたということだ。そのどちらもが税金を払っている。納税者ほど多様な集団はいないからこそ、内容には干渉すべきではない。》

 アホか!詭弁を弄するな。「再開して欲しいか。見たいか」という質問は、「展示会の賛否」を問う質問ではない。「いかがわしい内容の展示を確認してみたい」という人も多くが「再開しろ」に手を挙げたに違いない。拮抗などしているものか。

 橋下さんは、公金を使うことに反対をしていないと前置きをして、さらに畳み掛ける。問題としているのは《その使い方というか。仕組みのところだ。公立美術館で撤去された作品を飾るというコンセプトだと言ったが、それはある意味で津田氏さんの方針だ。公金を使うんだったら、そこはもう少し幅広い審議をした上で方針を固めていくべきだったと思う。》

 津田氏はずっと言い訳に終始する。

《1カ月前に記者発表し、ディスカッションしながらやろうと予定していたが、物議を醸すだろうということで警察に相談すると、“事前に発表すれば、その時点で抗議が集中してしまって大変なことになるからやらない方がいいんじゃないの”とアドバイされた。》

 隠しておいたのは、警察の助言のせいだと言っている。おいおい、だったらナンバー2の河村市長にまで隠していたんだね。

《それで事務局も発表はしない方がいいんじゃないかという話になった。》

 結局、事務局に責任をなすりつけてやんの。

 

 最後に津田氏はこう最後っ屁をかます

《おこがましい言い方だが、橋下さんの気持ちがちょっと分かった。》

 ホント、烏滸がましいわ!

 その後、橋下さんの『政権奪取論』を引いて、ぐだぐだ言い訳をしているが、何を言っているのかがわからない。長い話の最後でようやく言いたいことが見えた。

「時間がなかった」

 と、言うことである。

「ボクチン、民間の人だからやることがスピーディーなの。だから、チンボクのタイム感だったら2週間なんだけど、行政のお仕事は3ヶ月もかかるんだもの、コマッチング」

 行政には行政のやり方がある。とくに公金を使うのだからそこは慎重にならざるをえない。それを「全般的に時間が足りなかった」で片付けられても困る。その前段で「考えてない訳がない」と弁明しているが、バカの考え休むに似たりと言うことですな。

 橋下さんの最後のまとめである。

《考えながら公金を使うことの難しさを津田氏さんにも理解してもらえたとしたら、嬉しいな。》

 津田氏がまともに考えていたら、高須クリニックの高須先生が、知事のリコールで大枚をはたく必要もなかっただろうし、苦労をすることもなかった。

 なにも考えない観念左翼は行く先々で多大なる被害を与え続ける。あんなんと同調しているところが、愛知県知事がOUTなところだろう。