1972年、昭和47年の今日、アジアで初めての札幌冬季五輪が開幕となった。50年前のことである。
この大会は印象に残っていて、とくにトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」は、思い出せば未だ耳に再生ができる。この2年前に開催された日本万国博覧会の「世界の国からこんにちわ」よりも、はるかにセンスのいい曲で、銀板をすべるスケーター、雪面を滑降するスキーヤーの格好いい姿にマッチして、冬のオリンピックに期待と夢を持たせたものである。
この曲はネット上にいくつも残っているのでぜひお聴きくだされ。
https://www.uta-net.com/song/6824/
♪虹の~地平を~歩み出て~影たちが近づく手をとりああって~♪雪の~炎に~ゆらめいて~影たちが飛び去あるナイフのように~♪
早朝のゲレンデ、白い大地と真っ青な空。低い陽光を背に受けながら滑走していると、目の前を自分の影や仲間の影が手を取り合っているように交差したり離れたり、ナイターになるとまた影が鮮明になって、まさにゲレンデをナイフで割くように滑っていく。
雪山、スキー場なんて知らなかったガキが、その曲、映像に感化されて、後々スキーヤーになっていくんですね。その後のスキーブームをつくったのも札幌オリンピックだったのではないだろうか。
清純な白、希望の銀、若人の青、まさに希望と夢にあふれた冬期五輪だった。懐かしいなぁ~。
さて、呪いと悪意と欲にまみれた冬期五輪が明日、ジェノサイド国家で開催される。50年前と違って清らかさも、純粋さも、若者たちの明日への夢もない、ただ記録を求めるだけの、国家威信を高揚するためだけの、人権侵害国家のプロパガンダに利用されるためだけの五輪のご臨終が開催される。
ここまで呪われた五輪というのも珍しい。この運動会終了後にウクライナや台湾が危機に陥れば、「それ見たことか」ということになりかねぬ。
ナチスを超える統制国家で、周辺の占領地では人民の人権などは、共産党貴族の前では紙くず同然である。臓器が抜かれ、共産党員やその家族の内臓と入れ替えられる。こんな狂気を実行しているところで「虹と雪のバラード」ではないですよね。透き通った歌声がこれほど似合わないご臨終も珍しい。似合う楽曲は「贋と幽鬼のレクイエム」ですわな(蔑)。
バカな浅し新聞がこう言っている。間違えた。紅し新聞でしたっけ。
《国家と市民がシンクロし、熱気を帯びた夏季五輪から14年。人々の日常から浮かび上がるのは、こわもてな国家のイメージとは異なる中国の姿だ。変化を続けるこの国で、2度目の五輪が4日に始まる。》
お~い、人々にウイグル人、チベット人、南モンゴル人、香港人は入っていないのかニャ?彼らの周辺からは監視と隷属と拷問と死しか浮かんでこないぜ。
そんなジェノサイド国家で開催するものに対して、ワシャは1ミリも感動するものでもないし、そもそも見る気さえおきない。