敵基地攻撃能力について

 本日の朝日新聞「声」の欄。

《敵基地攻撃 遺児の私も反対だ》という83歳の読者からの投稿があった。これには、前段があって15日に93歳からの投稿で《敵基地攻撃能力 絶対に反対だ》というものがあって、これに対応するかたちでの投稿となっている。

 内容は、両者とも「日本国憲法」を高々と掲げて「反対」を唱えている。

「敵基地攻撃能力と改憲は、国民を再び不幸に陥れる」

日本国憲法の前文と9条が侵略を禁じている」

「他国がわが国を攻撃する用意が察知されたとしても、それが誤りかもしれない。それが事実だとしても、わが国の対応は他国の攻撃発射の後の自衛と迎撃にとどめるべきだ」

 笑える。しかし泣ける。ここまで「憲法9条教」が蔓延しているとは・・・。その病巣は骨髄にまで達していた。知っていたけどね(笑)。

 まず、このジイサンたちが知っている「戦争」というものはかなり限定的であるということである。その体験も、そして歴史も、じつはきわめて浅薄なものと断言できる。

 そのことへの反論はひとまず措くが、そもそも「敵基地攻撃能力」と「改憲」を同じレベルで議論しても仕方がない。まったく別個のものと考えることから始めてね、お爺ちゃん。

 まず、この老人たちの言う「戦争」と現在の戦争はまったく形態が違っているということを踏まえなければ議論にもならない。

 大東亜戦争は、少なくとも兵隊が押し出していって、陣地を構築して、その周辺を勢力下において、そこからやはり人力で航空機や船舶を操って勢力を拡大していく。この連鎖と言っていい。

 だが、今の戦争は違う。支那核兵器搭載可能な中距離ミサイルは何百本という数が日本に照準を合わせている。習近平がその気になれば、その何十分かのちには、日本全土が焦土と化すことになる。

 この爺様たちの戦争感覚では、「攻撃された後に自衛の戦いを始めればいい」ということなのだが、現在の戦争は第一波の攻撃を受けてしまったらその時点で敗北、自衛はできずに国民が多数死ぬことになる。

 ノルマンジー上陸作戦のように、敵軍が領土に入ったらおもむろに自衛の戦闘を開始する・・・なんて悠長な時代ではないのだ。そして、敵対しているのが英国のような紳士の国ではなく、呼吸をするように嘘をつき、墓まで暴いて敵を辱め、前時代の歴史をすべて焼却してしまう支那、朝鮮であることを再認識をしたほうがいい。

 さらに言えば、このジイサンたち、戦後の「自虐史観」に完璧に染め上げられている「和式リベラル」で、歴史を一方向からしか見られないように朝日新聞に洗脳されてきた不幸な人たちだ。

「敵基地攻撃能力と改憲は、国民を再び不幸に陥れる」

 それはまったく逆だ。脳味噌の不幸な人たちが「不幸」と感じるということは、マイマイのプラで「幸せ」だということである。 「殴ったら殴り返すよ」ではなく、「殴ろうとしたら殴るよ」、一番に被害を被るのは脆弱な国民であって、そこを殴らせない構えを取ることことがもっとも重要なことと認識すべし。

 ワシャはよく高校時代の話をするが、近くの実業高校のカモにされていた進学高校の生徒が安全になったのは、話し合ったからではない。先生たちが自衛してくれたからではない。実業高校の不良たちに拮抗するだけの腕力(ちょっといい言い方ですけど)を進学校のワルどもがつけたことによる。進学校の生徒にたかると、報復を受けるという現実を突き付けたのである。

 大和一郎くんは、進学校の小金持ちのまじめな秀才君である。彼女はジンビーの深田さん、しかしこの深田さんは、実業高校の番長の共田産次郎が岡惚れしていて、深田さん強姦計画が密かに進められていた。

 さあどうする、大和くん。

 警察に通報するかい(笑)。でもね、和式リベラルの皆さんは、日米安保という警察と手を結ぶ仕組みに反対している。警察を当てにできません。その上で「解」を考えてみてくだされ、爺様がた。