芸予をゆく

 いやはやハードな出張だった。

 初日に広島まで新幹線で行く。コンビニのサンドイッチで軽く昼食を済ませると、在来線で尾道に移動。翌日のために現地調査をしておくためである。ホテルにチェックインして、その後、尾道の商店街を中心に現地調査をした。概ねの街のスケール、配置のようなものが理解でき、街の勢いなんかも限定的ではあるが見えてきた。気がつけば陽は尾道水道の向こうに沈み、午後6時を回っていた。仲間3人で居酒屋に入って広島の牡蠣を食べつつ、翌日の打ち合わせ。

 2日目は、朝食前にもう一度尾道の街を散歩する。とはいえ風景を楽しんでいるわけではない。細い路地を覗いたり、古い建物の軒先を見上げたり、「そんなことをやってなんになるんだ?」と思われるかもしれないけれど、街ってけっこうそんなところから浮かび上がってくるものがあるんですよね。

 ホテルにもどって朝食を済ませて、すぐに調査先の事務所に向かう。ここで3時間のレクチャーを受け、別の視察団は、調査先の担当に街を案内してもらうことになったが、ワシャはほぼ街を見切っているので、3時間のレクチャーで細かいところまで納得がいった。現地で担当者に聞く話にも心が引かれたが、やはりその場所に行ったら、その場所の役所を訪れることが、なによりの情報収集になると思っているので、担当者に「別行動をします」と告げて、尾道市役所に向かった。

 尾道市役所は、尾道水道沿いに、令和2年1月にできたばかりのホヤホヤ本庁舎だった。

旧庁舎東隣に、建て替え用地としても使える駐車場が確保してあり、業務を継続しながら新庁舎建設をした。だから仮庁舎などの無駄な経費は掛からなかった。

 建物は、地下1階地上5階、延べ1万4496.54平方メートル。1階から4階に各執務室、屋上などの展望デッキがあり、どのフロアからも尾道水道がよく見える。災害時の拠点にするため、免振装置を地下駐車場に設置。非常用発電設備は津波等を想定し5階に置いた。ううむ、合格だ。

旧庁舎は昭和38年に建てられており、「歴史的建造物だから残せ」という意見も出たようである。

https://www.aij.or.jp/scripts/request/document/20140217.pdf

「1950年代から60年代にかけての初期モダニズムの建築作品」だから保存が必要とのことであるが、旧庁舎の写真を見ると愛知県知立市にも同じような庁舎が残っているから、ことさら尾道で残しておく意義は薄いのではないか。そのあたりの尾道市の決断ははっきりしていた。

 新たな庁舎を建設し、旧庁舎は解体する。その跡地へは市民の駐車場を整備しなければならず、さらには何十年後かの次の庁舎用地として確保している必要もあった。これらの一連の工事が2021年春に終了している。総事業費は72億3千万円だったという。

 新庁舎内を走り回っていたら、昼飯を食う時間がなくなってしまった。へっへっへっ、そんなこともあろうかと市役所に来る前に「ウイダーインゼリー」と「サンドイッチ」を買っておいたのじゃ。尾道市の職員に話を聞く合間に、5階の涼しい展望室で尾道水道を見下ろしながらランチタイムを楽しんだのだった。

 

 いやいや、楽しむなんて余裕はなかった。午後1時5分発の上り電車に間に合わなければいけない。口にパンを突っ込み、ゼリーで流し込みながら、尾道駅まで猛ダッシュで、きわどいところで間に合ったのだった。

 それから福山に行き、ここは時間がなかったので、30分だけ駅周辺の散策をするだけにとどめた。

 午後2時ちょうどの高速バスしまなみライナーに乗車して、福山駅前を出発。取りあえずは尾道まで戻って、そこから尾道大橋を渡って向島因島しまなみ海道を四国に向かった。バスは1時間半ほど乗っていたので、尾道メモをなんとかまとめることに没頭したので、車窓の景色を楽しむところまではいかなかった。でもところどころチラチラとは拝見いたしました。なにしろ芸予諸島は瀬戸内海の中でも、もっとも風光明媚なところでござんすからねぇ。

 午後3時半、今治駅着。ここで特急しおかぜに乗り換えて、一路、松山へ。松山駅からホテルへ直行すれば、もう午後5時を回っていたのでした。あ~疲れた~。

 なんて言っている場合ではなかった。ワシャには仕事の終わった後に、もう一つの調査が残されていた。

 なななんと、松山には「坂の上の雲ミュージアム」があるのだった。それを司馬遼太郎ファンのワルシャワが見逃すわけがない。仲間は、早々に食事に出かけたが、ワシャはそのグループと別れて、単身、ミュージアムに出かけたのである。

 

 おおおおー!『坂の上の雲』の書き出しの生原稿が展示してあるではあ~りませんか。昭和43年に執筆を始めておられるので、44歳の時の字である。はっきり言うと、下手な字ですな。まだ晩年の司馬さんの味のようなものが出ていない。書きなぐったような字で、「どこかで似たような字を見たことがあるな?」と思ったら、ワシャの下手な字にそっくりだったのだ。「四」なんかそっくり返っているし、「波」は「シ」と「皮」がくっついている。「伏せた」は「ハ」「大」「ゝ」と「せ」と「ち」で構成されている。これでは編集者が読めませんぞ(笑)。でも、とても親しみやすい筆跡だった。だってそそい時のワシャの字なんだもの。

 じっくりと読んで回っていたら、係のオネーサンが声を掛けてきた。

「申し訳ありませんが、閉館時間ですので・・・」

 えええー!ワシャはまだ半分しか見ておりませんぞ。もう1時間半も経ってしまったのか?ええい、仕方がない、安藤忠雄設計の三角形の建物を全力疾走したのであった。

 肩で息をしつつ正面玄関わきの売店にたどり着いた。司馬グッズを見ている暇もそれほどない。ざっと見たがピンバッチらしきものはないぞ。仕方がないので、オネーサンに「ピンバッチありませんか」と尋ねると・・・ひとつだけあると言う。司馬遼太郎には関係ないんだけど、伊予水引のピンバッチ1100円也。もちろん記念に購入しました。

 ワシャがミュージアムを出だ最後の客で、裏の従業員用の通用門からの退出となった。あ~おもしろかった。

 それからメンバーと合流し、夕食をようやくとったのだった。

 最終日の報告につきましては明日のココロということで~。

f:id:warusyawa:20211016092646j:plain

 表紙の建物の玄関わきにあるのが「伊予水引」ピンバッチです。