あなたのご労苦は大変だった、でも今の現実に目を向けよう

 朝日新聞がおもしろい。社会面だ。

《沖縄地上戦 今も「花火怖い」》と大きな見出しを打って沖縄戦体験者に当時のことを語らせている。今日は82歳の方。

《いまも月に1度は突然、75年前の光景が脳裏によみがえる。「急に体全体にあの場面がわき上がってきて、何もできなくなる。もう我慢するしかありません」》

 それはお気の毒だったとしか言いようがない。沖縄戦が6~7歳である。その頃の体験というのは生涯にわたって影響を及ぼすだろう。でもね、月に1度ならいいじゃないですか。おそらく沖縄戦でなくとも、DVであったり苛めであったり、あるいは事故や病気で大変な思いをしている子供たちもたくさんいる。

 のんびりと生きているように見えるワルシャワだって、月に1度どころか、何度も鬼のような上級生の顔を思い出すことがある。

 少なくとも82歳の方は、戦争を生き残られて、その後の75年を生き抜いてこられた。もう4分の3世紀も昔のことである。もうそろそろ、その悪夢と折り合いをつけて、余生を生きていかれるのはいかがでしょうか。

 記憶というものは、何度もなぞっていくことで定着していく。脳裏に刻み込まれてしまう。朝日新聞の取材になんか応じずに、「いやぁそんな昔のことは忘れてしまいました、わっはっはっは」と笑い飛ばしていれば、きっと忘却のかなたに置いてこられると思いますよ。

 佐多稲子がこう言っている。

《人間には忘れるということがあって、それはひとつの救いにもなっている。》

 沖縄戦が悲惨な現実であったことは間違いない。しかし、いつまでもそこに拘泥していては先が見えなくなる。沖縄戦の犠牲者には哀悼の意を示しつつ、今、さらに悲惨な状況に置かれている人たちに目を向けようよ。

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 上の写真は、清水ともみ『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』(季節社)である。

 いいかい?過去の記憶に身を浸して、花火を怖がっていてもいいけれど、今、沖縄の眼と鼻の先の香港で、ちょっと離れてはいるがウイグルで、チベットで、内モンゴルで、子供たちはもっと怖い思いをしているんだ。あんたは、言葉も文化も奪われなかったが、その子供たちは、臓器も含めてすべてを奪われようとしている。

「わしの心の傷が癒えないから国が救ってちゃぶだい」なんて、あまいことを言っているんじゃない。そんなことを言っている暇があるなら、支那共産党に抑圧されている子供たち、人々に思いを馳せろよ!

 あなたの戦争体験は、確かに悲惨なことだったとは拝察するけれども、もう75年も前のことである。今ここにある地獄に生きている子供たち、人々のことを少しでもいいから考えようよ。