最後はバカでしめる

 昨日、所用で私鉄を使って西尾張まで出かけた。昼過ぎの名古屋方面岐阜行きの急行を待っているのだが、ホームにはワシャしかいない。向かいの豊橋方面のホームには母親と3歳くらいの子供だけ。急行に乗りこんでも、一車両に4人だけだった。お盆だからなのか、大村知事の「緊急事態宣言」のおかげなのか。

だからね、ワシャは涼しい車内にキャリーバッグに詰め込んで持ち込んだ書類をシートに広げて読みこんでいたのである。電車の中がこれほど快適だったことはかつてない。1時間で、かなりの量の文書を整理・修正ができたのだった。

 

 津島市に用事があった。電車から降りると、早速、お手洗いに行って手指の消毒。そしてキャリーバッグに入れてあるアルコール液をたっぷりと使って消毒消毒。

昨日は、今夏最高の暑さと言われていて、駅前の建物はギンギラギンの太陽に照りつけられて茹だっている。ワシャは日傘を出して差しましたぞ。今から天王川公園に向かうんですが、日傘と日陰を選んで、なるべく直射日光に当たらないようにして行くのでした。

天王川公園では、地元の観光協会によるイベントで、冷し甘酒の店が出展されていた。そこのメンバーとの情報交換をしたくて炎天下に津島くんだりまでやってきたんですわ。

ワシャは、ことを起こすベースの部分はネットワークだと思っている。人と人が寄り集まって大きな力になると思っている。だからつねに「ネットワークをつくれ」と言ってきた。

そこで強風ですっ飛びそうな簡易テントを支えながらのディスカッションで、色々な情報を仕入れて、次の場所へと移動をする。

これはイレギュラーだったが、急遽、図書館へ行き、津島の歴史に詳しい人物に面会する。

その後、市の外れにある施設まで足を運んで、やはりキーマンとなる若者と1時間くらいの打ち合わせをしましたぞ。そのキーマン、なかなかの好青年で、ワシャの息子くらいの年齢ではないかいな。「ちなみにお父上の年齢は?」と尋ねると、どんぴしゃり、お父さんはワシャと同じ年だった(泣)。

 もうすでに午後5時を回っていた。それから車で再び津島駅界隈にもどって、そこで本日最後の面会となった。衰退激しい津島のまちづくりの仕掛人になるかもしれない人物ということで、津島に詳しいチェリオくんに紹介してもらった。その人がはたしてどういう特性を持っているのか、確かめに行ったのである。

 とはいえ、もう夕方なので、ここは少しお酒を飲みながらということになった。そこでは、美味しいビールといろいろな燻製を食べて、楽しい時間を過ごしたのだった。このところ宴席から遠ざかっていたので、いやー、ビールがすすむすすむ。人物鑑定どころではありませんぞ(笑)。

 カウンターは透明シートで隔離されており、席も1つおきにして、常にアルコール消毒をするといった徹底ぶりで、これならソーシャルディスタンスはしっかり取れている。「自粛」ばかりではなく、新たな手段を考えて、試行していけばいいのである。

 

 帰りの電車も空いていた。ワシャの乗った車両は車両の両側にシートが設置してあるやつで、それが扉4枚で区切られているので、6島が独立している。その端に乗客がうまく分乗するんですね。名古屋でどっとお客が乗り込んでくるかと思ったんだけど、2~3人が入れ替わっただけで、こりゃ確かに人出は壊滅的だ。金山駅では、ドアが開くと突然「バチーン!」という大きな音が車両内に響いた。「なんじゃ?」と顔を上げると、女性が入口のところで床に突っ伏している。滑り込んだのか。しばらく女性は動かなかったが、やがて立ち上がったようである。あ~びっくりした。

神宮前で、ノーマスクの変なオッサンが乗り込んできて、それまで誰も座らなかったシートの真ん中あたりに陣取った。歳の頃なら45~50か。中学生が好みそうな芋臭いTシャツを着ているところを見ると、もう少し若いか。それに半ズボンを履いて、大きなリュックを背負っている。座ってから、しきりに同じシートの端に座る女性をちらちらと伺っている。胡散臭い野郎だな、と思ったが別に何もする様子もないので、書類に目をもどした。

 

午後7時半、自宅最寄りの駅について、帰宅したのは午後8時少し前だった。やっぱり暑かったので、体を冷やすために、家でも缶ビールを1本空けましたぞ。 

 

 ビールを飲みながらネットのニュースを見ていると、こんなバカのニュースが飛び込んできた。

《侵略否定「国おとしめる」 村山元首相》

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081500094&g=pol&utm_source=yahoo&utm_medium=referral&utm_campaign=link_back_edit_vb

 村山元首相がほざいている。まぁ初代社民党党首ですからね、そのあたりからもお里が知れよう。

「過去を謙虚に問うことは日本の名誉につながる。侵略や植民地支配を認めない姿勢こそこの国をおとしめる」

 同世代の李登輝さんが、台湾という、村山氏が言うところの植民地の現地人の人が、あれほどまでに親日で、「日本よ、自信を持て」と言い続けてくれたのに、ずっと日本人の爺様が「日本人は自虐から目覚めてはいかん!」と叫び続けているのだから、イデオロギーに染まるというのがどれほど恐ろしいことか。

 確かに戦争はあった。東條英機の代表される軍首脳部の頭の悪さは反省するべきであろう。しかし、現在、いろいろな歴史的ファクターが明らかになっている。コミンテルンの強い関与については「ベロナ文書」があるし、日本を取り巻く欧米列強、支那国民党の暗躍などの暗躍もあった。「日本がアジアを侵略した」の一言で片付けられるほど、歴史というものは単純ではない。

 村山氏がそのイデオロギーであいも変わらず言っているのは、一枚の枯れ葉を見て、「この森は腐っている」と言っているのと同じだ。あんたの頭が腐っているよ(笑)。