広島に原爆が投下されて3/4世紀が過ぎた。昨日、ベイルートの爆発を目の当たりにした人も多かろうが、広島、長崎の爆発はあんなものではなかった。あっと言う間に街が消えたのである。もちろん人も一瞬で消えた。人の脂が影のようにしか残らなかった。そんな悲惨な記憶の日、売国・反日の信奉者である朝日新聞は、全面が「反核」で染め上げられている。
1面ではこういう。
《被爆者頼みではない核兵器廃絶の訴えをどう作り上げるべきか。》
《核廃絶に消極的な日本政府は、核禁条約を批准する道を探るべきだ。》
天声人語では、勤労動員された少女の悲しい言葉を綴っている。原爆投下が悲惨だったことを書き、最後に《大参事は起きる直前まで、その姿を現さない。あのときの広島がそうだったように。》って、どうでもいいことを書き連ねて2000万円なり。気楽な商売だな。
2面にはベイルートのきのこ雲の写真を載せ、3面では、日本の国土を核兵器から守るための「イージス・アショア」、「統合防空ミサイル防衛(IAMD)」などにケチをつけている。それも日本国の恥部と言いきってもいい鳩山由紀夫元首相の発言を引いてである。そもそも鳩山に根拠を求める段階で朝日の論調は破綻している。6面7面は見開きで「核といのちを考える」と題した特集だ。部下の自殺に際してまったく責任を取らない公家官僚とかの発言を載せて「核廃絶」を日本人にすり込もうと躍起になっていることが見え見えだ。
10面は、余程広告主が減っているのか、また「天声人語を書き写せ推奨」の一面広告ですな。今日の「核廃絶」の「天声人語」も丁寧に書き写し、若い読者に自分でオナニー洗脳しろってか?
13面の「国際面」は《豪州兵 託された記憶 広島の爆心地 写真いまも大切に》と半面をつかって、お涙ちょうだいの「原爆ルポ」である。
14面の「声」欄では「広島原爆の日」と題して特集を打っている。父が死に、母が倒れ、家族が苦しんできた。そんな記憶を並べてある。確かに被爆したことは生死に関わらず悲惨なことだと思う。しかし、そればかりを並べ立てて「悲惨だから目を背けよう」ではけっして日本のためにならない。
60歳の小学校教員が言う。間違いなく日教組だろう。
「8月6日、9日は日本人として忘れてはいけない日だ。原爆を実際に使用された人類史上に残る日だからである。しかし現在に生きる人間は、この日を意識している割合が低い。あまりにも戦争の事実を知らない」
おいおい、先生よ。オメー60歳じゃねえか。そもそも戦争知らねーじゃん。日教組のようなイデオロギーに染め上げられたドリーマーこそ、戦争の現実をまったく見ていないと言っても過言ではない。
「社説」はもちろん夢の「核なき平和」を説く。もちろんそれがいいに決まっているけれど、現実の国際政治はそんななまっちょろい「平和教」では生き残ってはいけない。喉元に支那の核ミサイル、北朝鮮のノドン・テポドンが突き付けられているのである。
「天声人語」の言うように《大参事は起きる直前まで、その姿を現さない。あのときの広島がそうだったように。》ということで、いつ何時あなたの頭上に核ミサイルが飛来するかは、習金平と金恩雲の気持ち次第なのである。
私たちの頭上に辛うじて核ミサイルが降ってこないのは、アメリカの核の傘に入っているからであり、アメリカの核兵器が無法者の核ミサイルを抑止している結果に過ぎない。
支那や朝鮮が核を保有し、自由主義陣営がバカの言うように「核廃絶」してごらんなさいよ。台湾はあっという間に支那の占領下に置かれ、数年で日本も支那の自治領に成り下がる。
地球上で、核兵器は一発目に広島に落とされた。二発目は長崎だった。三発目に落とされるのは、間違いなく核を持っていない国に落とされる。三度と核を落されないためにも核兵器は持てとは言わない。それを言うにはあまりに現在の日本人がドリーマー過ぎるからね。せめて核シェアリングをしましょう。敗戦国のドイツだって、ロシヤとエネルギー協定を結んでいるドイツだってもうやっているのである。なぜ支那と朝鮮に核兵器を突き付けられている日本が無防備でいられるのかが信じられない。
深田恭子が素っ裸で強姦魔の団体の前に横たわっているようなものではないか。大丈夫か、日本人。
三河版も社会面の「原爆」「空襲」で染め上げられた紙面全体を見て、ここまで洗脳をするのか、そして洗脳をされているのか、と悲しくなった8月6日である。