今日もすいませ~ん

 今日も朝から打ち合わせと会議が入っているんですね。その下ごしらえもあって急ぎ出勤しなければなりません。

 要は寝坊したんですね(笑)。また帰って来てから書きます。

 突然ですが、中村草田男の句をひとつ。

 「産の日近し月が星消し青葉木莵(あおばずく)」

 

 午後5時半に帰宅して、パソコンの前に座っている。

 上記の句は、今日が草田男忌だったので。あるいは「万緑の中や吾子の歯生え初むる」のほうでもよかったのだが、『夏目友人帳』の福音の森の梟が好きなので、青葉木莵の句を選んだのじゃ(なんのこっちゃ)。

 まぁどちらの句も、新しい命の予感だったり余韻だったりして素敵なのであった。

 

 さて、家に帰ってきて必死こいて新聞を読みましたぞ。でね、ようやく朝日新聞「声」の下欄でいいのを見つけた。7月8日に投稿された意見に対して他の読者の意見を列挙するというもので、テーマは《どう思いますか自治体の共同作業》である。7月8日の投書は「自治会で共同作業は時代遅れ?」について悩んだもので、その投書に対してのいろいろな意見が並べられている。

 まず7月8日の問題提起はこうだ。

自治会の管理するお堂の境内地の芝生撤去と砂利敷設工事を、元禄時代からずっと地域でやってきた。しかし一部から「業者に依頼しよう」という声が出た。自分は「せっかくの地域の絆づくりの機会だから」と反対したが、「金を払えば済むことだ」という一声で決着した。》

 投稿者は「これでいいのか?」と疑問を呈している。

 これに対しての回答は2パターンであった。「コミュニティーを大切にしよう」というものと、「同調圧力にうんざり」というものである。

 ワシャとしては、地元の消防団を7年もやってきたので、コミュニティーも大切だとは思うが、2人の投稿者が述べていた「交流、絆は、ある人々には押しつけになり、煩わしさを助長する」という意見も理解できる。

 これは難しい問題で、全国いたるところで、これと類似した事案は数多発生しているだろう。

 とくに独断の強い自治会長が始末に負えない。またリーダーを取り巻く連中が極端な仲良しグループだったりすると、新参者や考え方が違う者は、強い違和感を覚えることも確かだ。

 反対に、地域の恩恵は受けながらも、ゴミ捨て場の掃除ひとつせず、家の周辺の草むしりどころか、玄関前の空き缶すら片付けない、非協力的な者もいる。

 どちらもどちらなのだが、この中間点にいる普通の健全な住民がもっとも被害を受けることになるのも事実だ。

 古い集落は町内会加入率99%を誇るようなところもある。こうなると加入しなければ、村八分、村九分なんていう悲劇的な状況になってしまう。

 かたや、加入率30%なんてところは、それこそ一部の役員にすべての労役が回ってきて、地域の奴隷のような有様になるところもあるだろう。

 

 なかなか人の世というのは難しいのう。いっそのこと妖(あやかし)のほうが楽なのかもしれない・・・と『夏目友人帳』を読んでいてそう思った。なにしろ人間というのは面倒くさい。まぁそこがいいところでもあるのだけれど。