司馬遼太郎のエッセイ集『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)の第15巻に「三度目の台湾」という650字程度のごく短いエッセイがある。字数としては天下の「天声人語」と同じくらいなのだが、内容は司馬さんの圧勝だ。
司馬さんは、《台湾の人と街角ですれちがったり、廊下で立ち話をする程度が楽しくて、やってくるのである。》と三度目の訪台を言い訳している。
そして、台湾人がいかに日本を理解しているかについて、《この地の年配の人達には高度な日本語の理解者が多い。俳人も、歌人もいる。》と述べる。
また、当時71歳の李登輝総統の言として「私は22歳まで日本人だったんです」を紹介している。うれしいじゃありませんか。
さらに司馬さんは続ける。
《六十以上の人達にはNHK衛星放送を通じて大相撲のファンが多く、それも舞の海、旭道山、智ノ花という柔よく剛を制すといった小兵力士に肩入れする人がすくなくない。皇室ファンもいる。高砂族(山地同胞)の人達の多くは、いまだに日本語をつかう生活をしている。》
冷静な観察者である司馬さんが言うのである。このエッセイが書かれた平成6年の台湾の親日状況はかなり高い。
《だからどうだというのではなく、この年齢層があと十年で稀少になるだろうとおもうと、失われてゆく私自身とかれらとの“同郷”を、たがいが元気なうちに見確かめておきたいというだけのことである。》
司馬さんが対象に向ける視線はつねに優しい。とくに1回目、2回目の台湾訪問で書かれた『街道をゆく 台湾紀行』は日台関係、東アジアの文明論として秀逸だ。
日本と台湾の将来を見確かめたいと言っていた司馬さんは、この訪台後、2年を待たずして彼岸に逝ってしまった。司馬さんが生きておられて、今回の李登輝の後継蔡英文氏の圧勝を見確かめられたとき、どのような感慨を持ったのか、もう知る由もないけれど、李登輝さんとの友情を築いておられた司馬さんのことだから、きっと祝意を表しておられただろう。
もちろん、司馬さんの弟子だと勝手に言っているワシャも、大いにうれしいのである。
司馬さんが『台湾紀行』でこう言われている。
「一個の人間の痛覚として、私は台湾の未来が気がかりなのである」