芸術とゴミ

 今朝の朝日新聞に「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」の紹介があった。六本木の国立新美術館で8月24までの展示である。

https://www.nact.jp/exhibition_special/2020/kotengendai2020/

 紙面では、展示会の作品の写真が13枚並べられているが、どれもが清浄なのであった。そして正常なのである。どの作品からも作者の並々ならぬ才気がほとばしり、行って観たいと思わせる。例えば、横尾忠則さんの作品は曽我蕭白と並べられ、しりあがり寿さんの「富嶽三十六景」のパロディも北斎に負けず劣らずの存在感を示している。1本の木と向き合った円空と棚田康司さんの彫刻の林も、江戸と現代の才能ががっぷりと四つに組んでいて、写真は両者の作品が並んだ広い展示室を写しているのだが「その空間に身を置きたい」と思わせる。

 これが芸術、アートなのである。

 

 ひるがえって、「あいちトリエンナーレ 表現の不自由展」の下品さはいかばかりであろうか。ゴミの寄せ集めのようなカマクラ、それもゴミだけならまだ小汚いだけで済むのだが、その中に英霊への侮辱や他国の国旗に対する欠礼など、人としての節度を失っている。異常さは気持ち悪いくらいに感じるが、才能はまったく見当たらなかった。他のゴミも推して知るべしで、こんなものに公費を使って青少年に見せる責任者の感覚を疑う。

 

「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」の情報を、朝日新聞でもいいですし、国立新美術館のサイトからでもいいですので、ぜひご覧ください。見ただけで、「不自由展」との格差が感じていただけます。