昇華

 今日こそは、「あいトリ」の話題を出すまいと思ったのだが、今朝の朝日新聞「オピニオン欄」一面で取り上げているんだもの。

 ううう、どうしてもそちらに引っ張られてしまう。「表現の不自由展」で、昭和天皇の肖像を焼いて踏みつけにした映像の作者である大浦信行氏が登場しているのだ。朝日新聞編集委員が疑問を問いかけ、それに対して大浦氏が御託をならべるというインタビューである。(以下、「」は大浦発言、【】はインタビュアー発言)

 大浦氏はこう言い張る。

天皇の肖像を焼いたのではない。たまたま天皇の肖像の入っていた僕自身の作品を焼いたのだ」

 これに対してインタビュアーが【大浦さんが天皇批判を表現しているとの印象を持ったが】と突っ込むと「誤解です。残念です」と答えている。

 おいおい、大浦氏、あなたはずーっと天皇制を批判してきたバリバリのサヨクだよね。まぁいいや。そして大浦氏はこう続ける。

「僕にとって燃やすということは、傷つけることではなく昇華させることでした」

 これに対してインタビュアーは【正直よく分かりません】と応じている。朝日の記者、なかなか正直者ではないか。大浦氏、さらにこう畳み掛ける。

「残り火を足で消火した見る人には昇華を完結させた行為と映るはずです」

【自分の祖父の写真を焼けと言われて、焼けるのかという反発も自然だとは思いますが】

「常識でいえば、もちろん共感できます。ただ表現する行為は、日常や常識というものの最も遠くへ身を一度置く作業が必要です」

 そろそろツッコミを入れさせてもらおうかなぁ。このオッサン、芸術家であることで己は高みに立っているんだと確信している。芸術家は非常識でいいんだ、常識でしかモノを見られない下々の者どもは、芸術が理解できないなら文句を垂れずにありがたく拝観せよ・・・とそう言っている。

 この部分には朝日の記者も引っ掛かったらしく【自分本位過ぎると批判されたら、どう答えますか】と質問している。これに我儘なオッサンはこう答える。

「『すみません、そのようにしか生きられないのです』と応えるしかないと感じます。芸術とは、爆弾や毒をはらむものです」

 常識、良識で構成されている日本社会にあって、逸脱したところでしか生きられないのなら、もっと謙虚にひそひそと生きていろ。公金など当てにせず、常識外に身を置いて・・・そうだな~。沖ノ鳥島あたりの遠くに身を置いて、海鳥にでも見てもらえ。絶対に文句は出ないから。

 この後に、1993年に大浦氏の今回の作品が載った図録が抗議に遭って焼却処分されたというエピソードが紹介される。これに対して大浦氏は「そこまでやるのか、と思いました」と言う。

 おいおい、燃やされるのは「昇華」じゃなかったのか。テメエの作品だと「そこまでやるのか」と不満を持つんだね。

 こうも言っている。

「ある宮司が工房に来て、『遠近を抱えて』を買い取りたいと言いました。買ってどうするのは尋ねたら、焼いてこの世から抹殺すると言われたので、売れるわけないだろうと断りました」

 おひおひ、宮司さんが燃やしてくれるんですぜ。完璧なる「昇華」ではないか。大浦氏、言っていることが完全なWスタンダードだ。

 このインタビューの中で、大浦氏、朝日の記者は、天皇の肖像を焼く作品にクレームをつけてくる人間を「右翼」と断じている。作品を買い取りたいと申し出た宮司さんをにも「右翼」のレッテルを貼っていた。

 

 そういった意味において、今回の不自由展は「右翼」「左翼」の炙り出しに役立ったと思う。立ち位置から見た左右だから、それぞれの言い分があっていい。ワシャなんかは、まさに「中道」だと思っている。安倍首相でも政策は「リベラル」であるし、そういった立ち位置から天皇制を破壊しようとする輩を見れば「極左」に見えても仕方あるまい。

 現実に大浦氏のお仲間は、「表現の自由」に名を借りてやりたい放題のことをやってきたわけだから。実際に前述した「爆弾」も使ったし、「毒」も使おうとしていた。そういう連中から見れば、宮司さんも「右翼」に見えるわけだわさ。

 

 最後に、ワシャから見ればいたって常識人に見える方々の最近の発言を集めておこう。大浦氏で終わっては今日一日が穢れてしまうような気がするんでね。「昇華」と思ってもらえばいい。

 

 作家の竹田恒泰さんのツイート。

《河村市長が持っているプラカードのどこが「事実と異なる」のでしょう?大村知事は在特会を持ち出しますが「表現の不自由展」は中身は天皇ヘイト展であり日本ヘイト展以外の何者でも無い。税金が投入されている分、在特会より社会に与える影響は甚大です。》

《大村知事、貴方が展示させた昭和天皇の写真を焼く動画は「ヘイトまがい」どころか、正真正銘のヘイトです。ヘイトにも表現の自由があるというのは公職者としてあるまじきこと。即位の礼には出席しないで頂きたい。我が国の象徴にヘイトを浴びせる貴殿には皇居の濠を渡る資格は無い。》

昭和天皇は私の親戚である。その昭和天皇を侮蔑し名誉を毀損する展示に対して私は深く傷ついた。皇族方の多くも同じように傷ついたに違いない。一般人なら間違いなく遺族が訴訟する。皇室が起訴しないことを良いことにあの展示をしたのだろう。津田大介氏は卑怯の極み。彼は加害者である。》

 門田隆将さんのツイート。

《人を傷つけたり、尊厳を踏みにじったり、嘲笑ったりするものが芸術として税金で展示されるなら、日本は幼児ポルノでもカニバリズム作品でも何でも認められる事になる。崇高な「表現の自由」をここまで弄ぶ勢力。その作品群の真実を最後まで報じないマスコミ。国民がネットしか信じない時代が遂に来た。》

 

「不自由展」について立川志らく師匠が「やっていい事と悪い事がある」と言ったことを受けて、ラサール石井が「やっていい事と悪い事がないのが表現の自由」と反応した。

 これに対して百田尚樹さんが「ラサール石井の論理なら、どんなヘイトも民族差別も、アートだと言えば、やっていいことになるし、悪いことでもないということになるね」と指摘した。そのとおりである。ごく少数であるが、大村知事を筆頭にした日本ヘイト作品の擁護派は、ラサール石井と同様な考え方に凝り固まっている。

 ある方も、ラサール石井のバカ発言にこう呟いた。

《ヨーロッパ近代社会は宗教に対する風刺を表現の自由として認めてきたが、ユランズ・ポステンが預言者ムハンマドの風刺画を掲載すると世界中のムスリムが怒り狂って暴徒と化し、シャルリーエブド社はアルカイダに襲撃され風刺画家らが殺害された。それでも命をかけても表現の自由を守るという人もいる。》

 シャルリーエブド社に比べれば、安全な日本で公金を当てにして芸術活動をしている芸術家と称するサヨクのなんと幸せなことか。