くじ引き議員

 このところ国会議員の劣化が著しい。

 おそらく問題を起こしている議員たちと言えども、一般的にいって優秀な人たちなのだろう。例えば話題の河井案里参議院議員は慶応大学で院まで進んだ才媛である。だからといって、今回の一連の対応がどうかというと、それこそちゃぶ台の前で冷酒を飲んでいる鬼瓦権造でも「うだうだ逃げ隠れしていやあがって」と憤懣やるかたなかろう。むしろ場末のバーで働く女性たちのほうが潔いくらいだ。同じく慶大卒の旦那も一緒に逃げ回って、全く説明責任を果たさない。姑息すぎる。

 作家の百田尚樹さんは「国会議員の8割はバカばっかりだ」と手厳しい。ワシャはそこまでとは思わないが、市民感覚と乖離した、頭でっかちの、威張りん坊の、大衆迎合者が多いとは思う。

 

 朝日新聞1月8日の「多事奏論」に《魅惑のくじ引き議員 ただの初夢ではもったいない》という論説が載った。これを受けて21日には投稿欄に神奈川県の男性から《くじ引き議員 一考の余地あり》と題する投書が載っている。

 まず「多事奏論」の論旨から紹介しよう。

《民主主義の機能不全は「選挙原理主義」にある》と指摘している。確かにポピュリズムに染まった現行制度には問題点が多い。その上で、参議院を念頭において《無作為抽選で選ばれた市民》で議員を構成するという案である。例えば棄権票が40%出たとすると、参議院の4割に市民議員が議席を占めることになる。

《政党にしてみれば、棄権が増えれば自分たちの議席が減るわけだから、魅力的な候補者を発掘し、マニフェストを磨いて投票向上に必死にならざるを得ない。》

 参議院を投票行動によって政党と市民に振り分けるというものである。そして市民枠で抽選された議員は政党には属さず、公認権や選挙資金といった党の締め付けから解放された状態の判断が可能となる。

 ただしこの編集委員の発想から欠落している部分を補っておくと、抽選対象の国民は、既成政党に属していないという保証が欲しい。それには、各政党から党員名簿を提出され、その中に名前があるのかないのかを確認する必要があろう。まぁこのご時世だから名簿照会などあっという間だろうしね。

 

 上記の「多事奏論」を受けて20日の投書である。

《面白い発想だと思う。》と言っている。ワシャもそう思う。

《現在の国会議員は世襲や官僚、知名度のあるタレント、財力のある人などが目立つ。庶民サイドから見れば、どこか不公平だと感じる。》

 ワシャはもう一項目足しておきたい。「若くてきれいな女性」である。某党では昨今、ある一定の割合で女性候補、それも美人ばかりを並べてくる傾向を見せている。ここにポピュリズムが行きつくところまで行った観がある。

 世襲、官僚、タレント、金持ち、美人が、一般常識を持っているかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。むしろ、一般の人から見れば、特権階級に見えるこの連中が、一般常識がなさそうに見えるのは致し方あるまい。このところの国会議員の不祥事続きを目の当たりにすれば、やっぱりそうだよねということになってしまう。

 この投稿者、いいことを言っている。

《そうは言っても、素人ばかりが議員になっても困る。》

 それはその通りだ。

《そこでたとえば、くじ引き議員の候補者には中学校の社会科程度の講義を受けてもらい》

 これはいい案ですね。例えば、くじ引き議員の選考に社会科を含めて一般常識試験を実施し、当選から3か月くらいの研修期間を設定し、そこで政治の基礎を学んでもらう。それまでは前の議員の任期としておけばいい。

 でね、これは何もくじ引き議員だけではなく、通常の立候補者にも適用すればいい。そうすれば、ある程度の足切りにはなり、間抜けなタレント議員の発生を防げる。

 

 ただ議員活動というのは忙しい。まぁくじ引き議員は地元の「盆踊り」とか「会合」に顔を出さなくてもいいから、その点は時間があるだろう。しかし、それにしても公務が多いことは間違いない。現実には「仕事を持っている人」「子育てをしている人」にはいささか大変だとは思う。それに、そもそも「政治屋」を志していないのだから、何年か後に議員から解放された時の身の振り方も課題となってくるだろう。

 例えば、どこぞの町役場に勤める若者がくじ引きで参議院議員になったとして、6年間を議員活動に費やして、6年後に役場の通常業務に戻れるかというと、なかなか簡単な話ではない。

 このあたりの整理に時間がかかるだろうし、そのあたりを抵抗要件として現職議員たちは反対を唱えてくるだろう。

 難しい問題ではあるが、こういったところをきっちりと実行できなければ、日本の民主主義は成熟しないでしょうね。