平成27年(2015)9月に国連総会で「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され、その中に「持続可能な開発目標(SDGs)」が盛り込まれた。
それ以降、なかなか日の目を浴びなかったが、ここ2~3年人口に膾炙するようになってきた。この現象は、十数年前に起きた地球温暖化騒ぎの延長線上にある。あの頃は、北極の氷が融けて海面が60m上昇するとか、白熊さんが溺れて絶滅するとかが、実しやかに喧伝されていた。
ワシャの会社にも「地球環境研究者」と称する胡散臭そうな活動家がやってきて、やっぱり「北極解氷」と「白熊さんの悲劇」を話し、さらに「あと十年で人類は危機に瀕する」、「日本は熱帯になる」とか適当に喋って講演料をせしめて帰っていった。20世紀の末の話だ。
ワシャはそもそも天邪鬼な性格なので、人の言ったことを鵜呑みにしない。ちょっと調べてみれば(今では常識なのだが)、北極海に浮かんでいる氷が融けてもピタゴラスの定理で海面は上昇しない。白熊さんは泳ぎが得意なので、氷が融ける前に安全なところに避難する。十年が過ぎても平均気温はむしろ下がった。高い講演料をせしめた環境活動家の言っていたことは、すべて出鱈目だった。
それからワシャは環境の部門に配属され、そこで500冊くらいの環境本を読んだ。そうするとね、環境活動家たちの嘘が見えてくるのである。そしてそのことを指摘する数少ない科学者たちの論文のほうが、データに基づいて説得力があることに気がついた。
だからワシャは「地球温暖化説」には与せず、環境原理主義者たちと迎合するようなことはなかった。彼らからしてみると嫌な担当者だったでしょうな(笑)。
ようやく世紀代わりの大騒ぎが収束してきたかと思いきや、敵もさるもの引掻くもの、「SDGs」なるお題目を出してきやあがった。
これがなかなか、耳に心地の良いフレーズが並べられている。前回の失敗の轍は踏まないということなのだろう。
なんにせよ、薄あまく口当たりがいいので、正面から否定できる項目はない。だからみんな違和感を持ちつつも首肯せざるを得ないことばかりだ。「①貧困をなくそう」「②飢餓をゼロに」って、そりゃそうだよね。各国政府がこれに努めて国民の命を守る、あたりまえだわさ。まぁやっていないのはジェノサイドを現在進行形でやっている支那と北朝鮮に代表されうる独裁国家くらいか。
続けて「③保健と福祉」「④教育」「⑤ジェンダー」「⑥水とトイレ」「⑦クリーンエネルギー」「⑧経済成長」「⑨産業と技術革新」「⑩不平等の解消」「⑪住み続けられるまちづくり」「⑫持続可能な生産と消費の携帯確保」「⑬気候変動対策」「⑭海洋資源保全」「⑮陸上生態系の保全」「⑯平和と公正」そして「⑰グローバルパートナーシップ」ときたもんだ。
まず「⑰グローバル」ときた段階で、この思想が「社会主義」に毒されていると見たほうがいい。21世紀初頭に蠢いたグローバル化はローカリズムに変更されつつある。まず足元をしっかりと構築しようということである。「①貧困をなくそう」というのは、すべてを押し並べて平等にしようということで、もろに「社会主義」「共産主義」の考え方と言っていい。
「③保健険と福祉」「④教育」「⑤ジェンダー」「⑥水とトイレ」「⑦クリーンエネルギー」「⑧経済成長」「⑨産業と技術革新」にしたって、先進諸国では完成しているので、遅れている国々に「富の分配をしろ」と言っている。有るところから無いところへって言うのは簡単だけれど、金持ちが無償で身銭を切るわけなかろう。もちろん、立派な篤志家もいるだろうが、それだけではダメなのだ。日本国民がこぞって財産の半分以上を途上国に献上するくらいの気概がなければ成立するものではない。
「⑩不平等の解消」って「社会主義」だし、「⑪まちづくり」はそれぞれの自治体で必死にやっている。途上国の「まちづくり」を日本のレベルまで引き上げようとするならば、まさにそれぞれの自治体予算の半分を海外に持っていかなければなるまい。いやいや、それだけでは足らないだろう。700億円の予算規模のところなら500億円くらいを2030年まで出し続ける覚悟があるのか。できるわけないよね(笑)。
「⑫持続可能な生産と消費の形態確保」って、作るのも使うのも自由にやらせてくれということで、こういう縛りを言ってくるのは、統制経済への誘導であり、全体主義的考え方と言っていい。
「⑬気候変動対策」は、そもそも二酸化炭素が増えたので地球が温暖化したのではない。20世紀末までは確かに二酸化炭素と気温の上昇が比例をしていたが、21世紀に入って、その両者の相関関係がなくなっているのだ。つまり、二酸化炭素と気温上昇は関係がない。太陽のちょっとした気まぐれで、地球の温度は簡単に変動するということで、太陽の燃焼を人間がコントロールできるわけがないので自然に任せるしかない。
「⑭海洋資源保全」、これは絵に描いた餅だ。日本がどれほど保全を叫んでも、十数億の人民を喰わせるために、支那共産党は海洋資源が枯渇するまでとり尽くす。当然のことながら、途上国間でも海洋資源の取り合いが起きているし、なにしろ海洋資源は「金」なのだ。取ったもの勝ちの世界なのだ。
「⑮陸上生態系の保全」は、「②飢餓をゼロに」と「⑥水とトイレ」と相矛盾する。飢餓をなくすために食糧増産をする。これには陸上の開発が必要で、森林や原野を農地に換えていかなければならない。もちろん、農産物には水が必要だ。日本だってつい江戸時代まで「水争い」があって隣村との間で殺し合いがあったのである。食糧増産と水の争いが起きないわけがない。つまり①から⑮までをまじめに実践すると「⑯平和と公正」は絶対に達成されない。
そして「⑰グローバルパートナーシップ」は、地球を全体主義で締め上げようという目論見であって、美名の背後に「恐ろしい社会主義思想」が隠れていることを見落としてはいけない。
グローバルに、トータルに、総体としてコントロールしていこうというのがSDGsである。「グローバリズム=全体主義=社会主義者」であるということは肝に銘じたい。
いかんいかん「SDGs」というバッタモノの話になると気合が入ってしまうわい(自嘲)。
とにかく世界的な「お陰参り」は始まっている。
「えじゃないか、えじゃないか、えじゃないか、えすでぃーじーずでえじゃないか」
天から降ってきた17色の木札に踊らされ、愚者が大騒ぎを始めている。そして国益を損じていく。幕末に起きた「お陰参り」の陰には、攘夷派の体制を混乱させクーデターを起こすという策略があった。
この愚かな騒動でなにが変えられようとしているのか、SDGs原理主義者はどこへ向かおうとしているのか、へそ曲がりの天邪鬼としては楽しみなことだわさ。
それはそれとして、また軽薄な自治体が「ISO」や「事業仕分け」の時のように、「SDGs」に踊らされるのではないかと心配している。こういったものは熟考して動かなければならないものだが、時代を観察する能力に欠けたもの、センスのないやつが、すぐに新しいものに飛びつくのが恥ずかしい。
まさか「SDGs」を冠した組織をつくるなんてことがないように祈っているが、いくらなんでもそんなバカはやらないよね。
そもそも「SDGs」ってジイチャンたちは読めねえし。