紀文追儺(きぶんついな)

 ちょうどこの季節のことである。江戸で豪商と呼ばれた奈良屋茂左衛門が吉原に登楼し、前日に降った雪で真っ白になった庭を愛でながら宴を催した。たまたま近くの座敷で宴を張っていたのが、嵐の太平洋を紀州から江戸までミカンを運んで財をなした紀伊国屋文左衛門だった。この二人はなにかにつけて敵対するライバル同士で、文左衛門は「風流な真似をしやあがって」ということで、雪化粧を施した庭に何千両もの小判をばら撒いた。「拾った小判はご祝儀だ」となれば、廓中の人間が雪の庭に殺到し、みごと雪景色は無残な有り様になったとさ……というのは、紀文の放蕩話としては有名なものである。

 ZOZOの前澤社長の総額1億円の現金プレゼントのニュースを聞いて、この紀文の話を思い出した。「100万円を100人に」という話に540万人の人間が踊らされた。前澤社長のアナウンスは丁寧だ。当選者へのメールも常識的である。一部のマスコミではこういったやり方を肯定する、歓迎する発言も出ている。
 でもね、貧乏人だけど踊るのが嫌いなワシャは、強烈な違和感を持ってしまうのだ。天邪鬼なんだろうけど、どうしても前澤社長のやっていることが、江戸の紀文の気分と変わらないように見える。
 前澤社長が大金持ちなことは知っている人はみんな理解している。だったら、奈良屋のように静かに雪を愛でながら飲んでいればいい。わざわざ「1億円の金」という普通の人が早々持っていないものをばら撒いて、静かな景色を壊す必要もなかろう。「宣伝としては1億円は安い」とコメントしたバカなコメンテーターがいたが、そんなことで、狂奔する日本人の姿を全世界にまき散らしたマイナスの方が大きいわい。
 結局、お大尽が高欄からばら撒いた金は、消費者の懐から巻き上げられたものでしかない。

 こんなニュースも伝わってきている。
《「ZOZO離れ」オンワードだけではない!?セレクト各社の危機感》
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190109-00190347-diamond-bus_all&p

 奢れるものは久しからず。
 巨万の富を築きあげ、何千両をミカンのようにばら撒いた紀伊国屋文左衛門も、後に破産し、火災にも見舞われ、紀文、その子、その孫と落剝の一途を辿っている。
 江戸の研究家で随筆家の三田村鳶魚はこのあたりをこう書き残している。
《哀れ驕奢で知られた紀文の子孫が、妻を悼み娘を悲しみ、老後を孤独に、裏店で先代の栄華を夢にも見られぬ境遇に、一生を畢(おわ)ったのは気の毒の限りでもあるが、筋のよくない成金の末路としては、実に相応だとも思われる。》

 まあ貧乏人のやっかみですけどね(笑)。


 追伸
 ふと、ページビューを見たら、あと84アクセスで百万ページビューになっていた。う〜む、長かったなぁ。