令和元年最後の読書会

 昨日、読書会。課題図書は、松波信三郎『死の思索』(岩波新書)である。先月の23日に哲学講座があって、その時のテーマが「死」であった。というか「哲学」がそもそも「死ぬことを学ぶことである」とモンテーニュが言っているくらいだ。キケロだって「哲学とは死に備えることにほかならない」と言っているし、フィロソフィアは「心安らかに死ぬ稽古をする者」のことなんですね。

 だから哲学の講座に学ぶ=死ぬことを学ぶということに他ならない。そんなわけでワシャは先月末から「哲学」に目覚め、直後にあった読書会で『死の思索』を推薦したのだった。

 ワシャは最寄りの駅に午後6時過ぎに着いた。乗る電車は6時11分にやって来る。余裕だ。しかしホームで待っていてもいっこうに電車はやってこない。なんのこっちゃ。反対車線の快速も停まったまま出発しない。ホームで待たされている人がざわつき始めた頃、アナウンスが入った。

「只今、安城西岡崎間で、非常停止ボタンが押されましたので、安全確認を行っております。しばらくお待ちください」

 非常停止ボタンかいな、人身事故でなくてよかった。それにしても迷惑な話だ。結局、20分遅れで電車は動きはじめ、読書会の会場入りしたのは、やはり開始後20分を過ぎていた。

 そこでメンバーが気だるい雰囲気で待っていた。

「どうしたんじゃ?」と訊ねると、「哲学は難しくてよく解からない」と言われたのだった。確かに『死の思索』は岩波新書の「黄本」でちょいと難しい部類に入る。哲学慣れしていない人には少し歯ごたえがあるかもしれぬ。

 だからワシャは読書量の多いパセリくんにまず口火を切ってもらうことにした。もちろん彼は「読みにくかった」と言いながらも、『死の思索』の要点をきっちりと押さえていた。感想も問題点の洗い出しも的を射たものだった。モンテーニュの「自殺の是認」のところに触れてくれたので、そこから掘り込んでいって、「尊厳死」「安楽死」の話題にしたところ、皆が乗って来てくれてホッとしたのだった。

 ようやく盛り上がってきたところに、パヤパヤさんが到着し、「『死の思索』はどうでした?」と振ったところ「いい本でした!まさに私が普段考えていることが明確に書かれていて面白かったです」と言ってくれた。本の推薦者としては胸を撫で下ろしたのだった。

 そこからは遅れてきたパヤパヤさんが暴走を始めた。エロエロなことを『死の思索』 に絡めて、語る語る。普段はめったに自分のことを語ることもないのだろう。ここぞとばかりにパヤパヤ砲が炸裂した。

 死の思索をしながら、大爆笑の読書会となった。それもまた善し。

 

 読書会後、定例の反省会。ここでもパヤパヤさんの独演会で始まったが、酒の力を借りて他のメンバーが追いつき、楽しい夜は更けていったのであった。