生死不染 去住自由

 見出しは「臨済録」にある言葉である。「生死(しょうじ)に染まず、去住(こじゅう)自由なり」と読む。訳は「生きること死ぬことに汚されず、去(ゆ)くのも住(とど)まるのも自由である」。

 仏法を学び、真正の見解を求めたならば「生死不染 去住自由」になるという。「臨済録」の解説に依れば、禅を学び般若に至れば生死を解脱するのである。「生死」を解脱するのかぁ……「死」を解脱するのはいいとしても、「生」は解脱したくないなぁ(笑)。

 ワシャなんか「遊びをせんとや生まれけむ」だもんね。まだまだ、ワシャはこの世をば遊びつくしておらんのじゃ。だからこの世に未練たらたらなのだった。

 

 コラムニストの勝谷誠彦さんが逝かれて1年。混迷する世界を見るにつけ、勝谷さんには生きていてもらって、鋭い評を聴きたかったなぁ。

 勝谷さんには酒に溺れて欲しくなかった。そんなに何度もお会いしたわけではないが、その内の2回は酒席を囲んだ。その時の印象では、やっぱり酒の強い人だなぁ・・・だった。

 行動を共にしていた世論社の社長のヨロンさんや、作家の花房観音さんは「人として弱かった」というようなニュアンスで、もちろん最大の親しみをもって言っているが、ワシャが何度かお会いした限りは、しっかりと自分というものを持っていて、常に最前線に身を置くことのできる「強い男」に見えた。でも、勇者アキレスにも弱点があった。いわんや勝谷誠彦においてをや。

 

 勝谷さんは、少年漫画に出てくるような黒幕の老人にあこがれていた。「軽井沢の老人」と呼ばれ、時の首相などが内々でお伺いを立ててくるようなフィクサーに憧れていた。残念ながら、老域に達する前に解脱されたのだった。

 

 話をもどす。

 ワシャは読み下し文が好きである。「しょうじにそまずこじゅうじゆうなり」「し」「じ」「じ」「じ」と重ねられている。「しょ」と「そ」も類似する。とても響きのいい言葉の羅列と言っていい。

 

 支離滅裂ですが、たまたま机の上に『臨済録』(岩波文庫)と『バカが国家をやっている』(扶桑社)が載っていたので、仕事に疲れた脳髄がいろいろと想いが廻ったのだった。