某議員の話

 某議員から聴いた話ですよ(笑)。

 その議員の地域の宴会に呼ばれたそうな。で、乾杯から宴席が始まって、某議員、周りの人たちと和気あいあいと飲んでいました。そこに地元の有力者が口をはさんで、「おい、某よ、地元の人に酒を注いで回ってこいよ」と言ったんだとさ。

 しかし、この某、根性のあるヤツで、有力者に言われても動かなかった。同じテーブルの人たちと和気藹々と楽しい話に花を咲かせていた。そうするとまた有力者が言う。

「なんで注いで回らないんだ。お前、票が要らないのか?」

 これに対して某、こう応じた。

「すみませんね。ヘコヘコと頭を下げて票を稼ぐようなかたちは、僕のスタイルではないんでね(笑)」

 と、はっきり拒絶したそうな。う~む、なかなか根性のあるやっちゃのう。

 しかし、国会議員から市町村議員まで、大衆迎合に染め上げられた日本では、次を狙う限り、有権者にヘコヘコせざるを得ないのである。

 某は言う。

「次は狙っていない。狙えば、仕事に優先して地元への追従に終始しなければならなくなる。そのことに時間を費やすのは本末転倒ではないか。そんな時間があるならば議員活動に注力すべきだ」

 と言いながら、某は地域の役もきっちりやっている。それはそれとして、媚びは売らないスタイルを貫く。

 さらに言う。

「次の当選のことを考えていて、何ができる。今期に全力を尽くすことこそが大切ではないのか」

 

 安倍首相が「桜を見る会」でかなり責め立てられている。不動の長期政権を維持する安倍首相ですら、地元の顔色をうかがわなければ立っていられない、選挙に勝てないということである。これが、国会議員から地方議員の末端にまで染み付いているのだ。政策論争を脇において、後援会の旅行を企画し、励ます会を自分で開催し、ヘコヘコペコペコ、ひたすら支援をお願いすることの虚しさはいかばかりであろうか。

 ワシャも、日本の政治を停滞させているのは、足元ばかりを見る政治屋の存在だと思っている。そしてそれに期待をする支援者と称する連中がさらに足を引っ張る。そんなことでは、高い次元で国際政治など俯瞰できるものではない。

 

 韓国が、一転してGSOMIAを継続すると発表した。舞台の上で一人でくるくると回って見せ、挙句の果てに舞台から落ちて、大爆笑となった。

 そんなことはどうでもいい。大切なことは、韓国の駄々を、微動だにせずはねつけた政治の強さの存在である。それは、実は「桜を見る会」で安倍さんが手を握ってペコペコした支援者たちではなく、「いい加減な国にはしっかりと対峙せよ」という、なんの見返りも求めない大多数の国民の下支えがあってのこと。その下支えというのは、ポピュリズムとは一線を画した声なき声であり、そういった趨勢こそがいい国を造っていくのではないだろうか。