昭和の政治家よ、そろそろ引退してくれ。二階俊博自民党幹事長、もういいじゃないか。日本をこれ以上貶めるのは止めろよ。
小泉大臣、森大臣、加藤大臣、OUT!
地元の宴会、地元の書道展の表彰式、地元消防団の集会・・・そりゃダメでしょ。
作家の百田尚樹さんは言っている。
《中国肺炎の対策会議を休んで、地元の後援者に尻尾をふりに行っていた。こいつらバカやろ!国民を舐めているのか!》
でもね、現在の選挙制度を考えると、政治家は地元の有権者に媚びを売らざるを得ない。政治乞食と言っていい。
小泉進次郎ほどの人気があっても、加藤勝信ほどの実力があっても、この体たらくなのである。他の有象無象の国会議員、県会議員、木端の市会議員など推して知るべし。これが民主主義というものの本質なのであろう。
先日の名古屋で出くわした国会議員のパーティでは、主役の議員が1000人ほどの支援者の中を名前と顔写真の旗指物を立てて練り歩いていたそうな。
こういった有り様を見るにつけ、評論家の呉智英さんの言っている封建制度のほうがなんだかましなような気がしてきた。
作家の曽野綾子さんはこう叱る。
《最近の日本の政治家たちがほとんど魅力を失っているのは、彼らに思想と勇気のどちらも欠けているからだ。思想は政治テクニックだけではない。政治家になろうがなるまいが、その人の全人的な個人の歴史の上での深い歓びと怨念、その対処法の記録と結果、それらを人に語れるだけの強力な個性、読書によって培われてくる深い教養、そのどれもがいるのである。》
もとより政治家が己を鍛えることを怠ってはいけない。しかし、その政治家を支える有権者が政治家に媚を求めないといった姿勢を貫くことも必要だ。新年会に顔を出さなくとも、表彰式に来なくても、消防団の集まりにあいさつがなかろうと、「オラが先生は忙しいんだな、仕方がない」と鷹揚に認める力量を支援者が持つことが重要だ。やはりこの国の政治のかたちをよくしていくには、有権者の成長を待つほかない。悲しい現実だけれど。