昨日、仕事で南信州に出かけていた。天気は曇り、三河を車で出た午前8時30分にはエアコンを24度にしてあった。豊田を経て、足助、稲武を越えると、長野県根羽村に入る。そこまで2時間かからない。ワシャが子供の頃に休みになると通った母親の実家は、南信に隣接する東美濃(岐阜県)にある。それこそ目と鼻の先で、矢作川最上流の同一文化エリアに属す。だから山深い風景とか、矢作川の水の匂いとか、五平餅やヘボ飯に代表される味が、とても懐かしいのである。故郷(ふるさと)といってもいい。
かつて、根羽村は豊田市と同じく三河国加茂郡だった。江戸期以前は、河川の流域を運命共同体というか同一文化圏として考えた。山岳・海洋国の日本では、大陸のように馬車輸送が発達せず、海運、水運というものが輸送の主力を担った。つまり内陸においては河川が動脈となっているのである。
例えば、岡崎市の北部の山あいに「岩津」という地名がある。矢作川中流域の集落名なのだが、「津」というのは「港」ということで、ここには実際に港があった。三河山間部の物資がこの港に集積されて、矢作川下流域の人口集中地区に運ばれるである。逆に沿岸部でできた塩が船によって、この港まで運ばれて、ここから馬の背に担い直され、河川沿いの道を信州へと運ばれる。この遥か先の終点が「塩尻」であった。
話が逸れた。根羽村のことである。
ここに調査に入った。上下流交流、水源の森の保護、産業支援など懸念は山村だけに山ほどある。知っておくこと、見ておくことはたくさんあって、もちろん1日の調査では及びもしないから、村に金を落すことも含めて何度も足を運ぶことが大切だろう。
根羽村に入ったあたりに電光掲示板があって、気温を標示していた。「18度」だった。窓を開けると、ありゃま冷たい風が入ってくるではあ~りませんか。その後、茶臼山(1415m)の山頂近くまで登ると、温度計は「15度」になっていた。ワシャは薄手のジャケットを羽織っていたがそれでも寒かった。同僚は、半そでのワイシャツだったので、ブルブルと震えていたのだった。
根羽ではそろそろ紅葉が始まっていました。ススキの奥の木々の葉がほんのりと紅く、黄色く色づき始めています。