地域を救うモデルはあるか

 夕べ、読書会。課題図書は、藻谷浩介『里山資本主義』(角川oneテーマ21)と、百田尚樹『永遠の0』(講談社文庫)の2冊である。読書会メンバーの内の2人は元々読書習慣のなかった人なのだが、最近は、きちんと読んでくるようになった。継続は力なりですね。
 今回の『里山資本主義』はおおむね好評だった。ワシャ的には「?」と思うところもあるけれど、それでも藻谷理論は現場を知っているだけに説得力がある。
《地域の赤字は「エネルギー」と「モノ」の購入代金》にあると言う。「エネルギー」というのは、木質ペレット燃料のことなのだが、それはすでに10年も前から言われているし、山村では動いてきたことで、新鮮味はなかった。しかし10年たっても、まだ軌道にのっていないこともたしかだ。少なくとも奥三河南信州などでは、長年にわたって木質ペレット燃料を製造販売してきているが、燃料の主流にはなっていない。やはり石油系の燃料や電気は使い勝手のいいものなのである。
 藻谷さんの言われる中国地方の現状をワシャは知らない。もしも中国地方で成功しているとするなら、山の多い三河にも大いに参考になることなので、もう少し追跡調査をしてみよう。
 また、読書会の最後に「州郡制」について触れた。「道州制」が現在ある都道府県をベースにするのに対し、「州郡制」は自然地理的要素をベースにする。どちらかと言えば江戸期の藩の枠組みと思ってもらえればいい。河川の流域を分水嶺などで分割するのである。
 例えば三河でいうなら、矢作川流域で郡をつくる。三河湾岸の西尾市から碧海5市、岡崎市豊田市岐阜県恵那市、長野県根羽村までが「矢作郡」ということになる。東三河天竜川流域で諏訪から浜松までの郡、尾張木曽川流域で飛騨の南部から名古屋に及ぶ。こういった郡が、共通の海域などで複数集まって州を形成する。ワシャが今見ている案では、17州140郡程度に治まる。
 そもそも日本は河川の流域を一つの経済圏として発展してきた。上流で木材を切り出し河川を使って下流に送る。川は物資とともに森の栄養分を海に届け、それが魚介を育てる。それがまた川をさかのぼって流通していく。
 今はそれらの経済圏、コミュニティを分断してしまって、上流は上流で、下流下流で、さらに中流域を細分化したことによって、文化まで細断してしまった。
 今朝の朝日新聞の社会面に愛知県の設楽ダムについても記事が載っている。地元の設楽町は、ダム特需を狙ったが、現実にはそううまくは運ばず、設楽町は衰退の一途を辿っているという。これなんかも細断されたパートでしかない自治体が単独でがんばったって無理というものだ。ここは前述の流域郡で考えれば、下流豊橋、豊川、新城などまで含んで検討する必要があるだろう。
 あるいは「里山資本主義」を導入してもいいだろう。三河の山間部、森林も豊富な設楽町ならうってつけである。
 藻谷さんも「過疎を逆手にとれ」と言っている。経済至上主義、グローバルスタンダードなどこの国のかたちとは違うもののような気がしてならない。もう少し足元を見つめ直してもいい時期に差し掛かっているのではないか。