文楽はおもしろい

 先日、人形浄瑠璃を観てまいりました。文楽というやつでゲス。演目は「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)というもので、阿曽次郎と深雪の悲恋を描いている。見所はなんといっても「笑い薬の段」で、悪漢たちが、阿曽次郎を亡きものにしようと、毒薬を仕込むのだが、阿曽次郎の味方の戎屋の主人が毒薬と笑い薬を入れ替えて、事無きを得るというシーン。ここで悪漢の医者を人間国宝桐竹勘十郎が操るのだが、「なんでまたこんな脇役を」と思っていたら甘かった。この段の主人公は、まさに悪医師の萩の祐仙だったのだ。

 毒の入ったお茶を阿曽次郎に勧めるが、敵側のお茶をすんなりとは呑むまい、ということであらかじめ解毒剤を呑んでおいて、試し呑みをしてみせ、阿曽次郎に毒薬を呑ませようというもの。

 ところがどっこい、解毒剤の効く毒は捨てられて、笑い薬が入っているからさあ大変。

当然、解毒剤は効かず、祐仙は、笑い薬の効能で、そこいらあたりを笑い転げるのであった。これが凄まじく、おそらく生身の人間では表現できないレベルで苦しみ笑うのであった。これは人間国宝でなければ、なかなか表現できないと思いましたぞ。悪人のその様に観客席も一体となって、笑い転げるのだった。

 これだけ、舞台と共感できれば、文楽は21世紀以降にも残っていくに違いない。文楽を観た後に必ず書くことなのだが、人形劇というその特殊性から、あるいは歌舞伎よりも生き残っていくのではないか。