NHKの大河ドラマ『真田丸』も豊臣秀吉の天下統一が成り、豊臣一族のわが世の春が訪れようとする天正19年前後の話になっている。
史実から言えば、主人公の真田源二郎がしゃしゃり出過ぎだし、奥女中のきり(長沢まさみ)もウロウロし過ぎ。信濃の山奥の真田家が天下の政策に関わり過ぎている。まぁフィクションとして楽しめばいいのだけれど、そのドラマを鵜呑みにして歴史を覚えてしまう人もいるからなぁ……怖や怖や。
日曜日の回には秀吉の一族が勢揃いする場面があった。秀吉は別室にいるので、最上座には秀次(秀吉の姉の子)が着いている。その下に宇喜多秀家(養子)、小早川秀秋(高台院の甥)、羽柴秀勝(秀次の弟)などが並ぶ。この顔ぶれが秀吉の身内であった。これにいとこだとか遠縁の福島正則、加藤清正を入れ込んでも、天下を動かしている一族としては脆弱だ。秀家を除けば、元は下層民であった連中ばかりで、秀吉が世に躍り出るのに引きずられるようにして、スポットライトの当たる舞台に上げられてしまった人たちである。秀吉を含めて、この成り上がりは一族に不幸をもたらした。これは秀吉の罪である。彼が戦国武将にならず、地方都市で普通の商人として成功をおさめていれば、おそらく一族郎党は長きにわたって幸福を得たのかもしれない。そういった意味で言えば豊臣一族は悲劇の一族なのである。
こんなニュースがあった。
《小早川秀秋、関ヶ原の寝返り決断遅れは肝疾患のせい?》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160627-00050028-yomidr-soci
北政所の兄の子供である。秀吉が適当なところで登るのを止めていれば、日本歴史に汚名を残すことなく、せいぜい、北近江の足軽頭くらいで静かに暮らしていけたのに。残念ながら本人の意思とは関係なく、祭り上げられて位を与えられていく。舞台に立たされた当初は、それでも晴れがましかったに違いない。しかし、徐々に自分の立ち位置が理解できるようになると、とんでもないところに引き出されたことを思い知る。これが酒を浴びる主要因だ。今のように「メンタルクリニックに行きましょう」というわけにはいかない。命のやり取りをギリギリのところでやっていかなければならない戦国の末期である。己の力量など己が一番よく知っている。秀秋にしても、一刻も早い舞台からの退場を願っていただろうが、頼りの秀長叔父あたりが先に袖に引っ込んでしまった。あれよあれよという間に、秀次が自刃し、秀吉が身罷って、三成と家康が喧嘩を始めるではないか。どうすればいいのか、おそらく秀秋はもともと大した思考力もないのに悩んだのであろう。その挙句のアルコール依存で、肝硬変であろう。
記事は「ユニークな説」としているが、当時の資料「医学天正記」を読み解いての結果である。医師である曲直瀬玄朔(まなせげんさく)の診療録に「酒疸一身黄 心下堅満而痛 不飲食渇甚」(大量の飲酒による黄だん、みぞおち付近の内臓が硬く痛みがあり、飲食できずのどの渇きが激しい)とある。漢方は診断を下さない。その状態を診ることを重要にしている。だからここに記載のことは、秀秋の症状そのものである。酒の飲み過ぎの肝硬変ですね。
そこまでしなければ気が紛れなかった。そこまでしても気が紛れなかった。戦国武将というのは生半可な度量では座れなかったのである。