ワシャは1997年以降の購入本はすべてデータでとってある。例えばその年の9月には、私鉄の駅近くのスーパーにある書店で、安野光正『津和野』(岩崎書店)を購入している。ハンディー版の画集である。このころ司馬遼太郎にどっぷり浸かっていたので、当然、司馬さんと街道を歩いた安野さんにも興味が向いていた。
21世紀になって初めて買った本が『日本歴史「古記録」総覧』(新人物往来社)。正月に明六堂という古本屋で購入したと書いてあるが、明六堂ってどこにあったっけ。
来月、読書会が2つあって、その課題図書がどちらも日本近代史の加藤陽子東大教授の本に決まった。地元読書会のほうのは『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)で、その後に開催する全国版読書会のほうが『天皇の歴史8 昭和天皇と戦争の世紀』(講談社学術文庫)であった。
もちろん、両方とも書棚にささっている。『天皇の歴史8』は1ヶ月前くらいに入手した。『それでも、日本人は』のほうは、データを見れば、2009年9月25日にいつもの駅前の本屋さんで購入している。つまりワシャの本棚のどこかにはあるのだが、これが見つけられない。このところこのパターンが増えてきたのう。本が増えすぎて、書庫の蔵書能力を超えた段階から、家のあちこちに分散したり、箱詰めにして積んだりするようになっている。それに最近はちょこちょこと古本屋に出しているので、蔵書がどこにあるのかないのかが、管理できなくなっている。
これは真剣にこの週末、書庫の整理をして『それでも、日本人は』を発掘しなければならない。