今朝の朝日新聞三河版。「名古屋城問題を考える」として「障害平等研修フォーラム」の代表理事なる人物が出てきた。この人は名古屋城のバリアフリーの問題点を二つ指摘する。
《史実に忠実な城があるけれど、ある人たちは排除される。それが本当に良い名古屋城なのか》
《河村市長の示す新技術が人的介護を前提としていることです。例えば車いすの人が駅で階段昇降機を使うために駅員を呼んでも、人手が足りずに30分も待たされることがある。エレベーター(EV)のように人的介助を前提としないアクセスが必要》
まず、歴史というものは不便なものである。前にも書いたけれど、ピラミッドにエスカレーターをつけたりしたらおかしいでしょ、という話。
二点目については、ある施設関係者から聞いたこんな例を示しておきたい。
その施設を利用する老人が電動自転車に乗って来る。老人は、玄関わきの通路に自転車を置いて、玄関に常備してある車いすを支えにして施設内を移動する。通路に停められた自転車を見つけた係員が老人に注意をした。そうしたら「わしは足が悪いので、駐輪場が遠すぎて、ここに置くしかないんだ」と言い張る。係員は、ここは玄関だから停められないと繰り返すのだが、「だったらお前らが車いすで駐輪場まで迎えに来い」と言いだした。
係員はよほどいい人だったのだろう。その老人が窓口を覗くと、車いすを持って駐輪場まで一緒に行き、その老人に車いすを渡すという手助けを3度ばかりした。
ある時、窓口が立て込んでいるときに、その老人が来た。合図をするのだが、立て込んでいて、その対応ができなかった。
そうしたら老人はその施設の責任者に「係員の対応が悪い」という投書を送ってきたのだ。
このケースでいうと、玄関わきに自転車置き場を造ればいいのだが、スペースの関係でそれはできない。だったら玄関を変えてしまうか。それは大工事になるだろう。余談だが、その老人、車いすを支えにして歩くのだが、時おり、車いすから離れて歩行しているのを目撃されている(笑)。
代表理事が言うように、「人的介助を前提としないアクセスが必要」というなら、その施設は大改修をしなければならないだろう。
でもね、ワシャもやれるなら大改修をしてもいいと思っている。玄関に近いところに障害者用の駐輪場を設けられる財源やスペース的に余裕があるならそうすべきだ。
それはそれとして、名古屋城を文化的な建造物として、二百年、三百年先まで名古屋城天守閣を伝えていくというのなら、史実に忠実に再現するべきであって、そこに現在の事情を加味するのは将来への不実だと思う。