西日本豪雨の現場で

 金曜日の宴席で防災関係者と一緒になった。仮にAさんとしておくが、Aさんは翌日土曜日から西日本豪雨災害の被災地に入るという。今回、もっとも被害の大きかった広島県に行き、被災の状況、復興の度合い、支援の進捗、ボランティアの活動などを確認してくる。呉市にはスーパーボランティアの尾畠春夫さんも入っている。もしかしたら現場で遭えるかも。
 翌日の日曜日には、日本最大のNPO組織である「ピースウィンズ・ジャパン」の本部(広島県神石高原町)にお邪魔して、現在の事業展開、将来の事業計画をお聴きすることにしている。
 そのあたりの話(各論)は、おいおいとまとめていくことにして、今日は全体の概要を記しておく。

 金曜日の、土曜日である。金曜の夜の宴会で決まった。すでにワシャには土曜の朝から午後2時まで予定が入っている。すでに宴会は進み午後9時をまわっている。今から明朝の約束に断りを入れるのは、厚顔なワシャでもなかなかできない。しかし、Aさんは「ワルシャワさんは西日本の豪雨被害を見ておいた方がぜったいにいい」と言われるので、土曜のスケジュールを少し前倒しにして、対応したのじゃ。
 なんとか土曜日の昼過ぎに博多行きののぞみに乗ることができた。作業着や作業用の靴もキャスターバッグに詰めて、尾畠さんほどではないにしろ、現場で自給自足できる用意はしていった。
 3時過ぎに東広島着。レンタカーを借りて、呉に走る。24人が亡くなっているという凄まじい現場に入る。中でもひどかったのが呉西部の町の天応地区だった。幹線道路である国道31号も、この地区に入ると、陥没や土石流の撤去工事であちこちで迂回させられた。ここで尾畠さんとすれ違うかなぁと探してみたけれど、結局、遭えなかった(なにしに行っとんじゃい・自嘲)。
 呉で活動を終えたのが午後8時過ぎだった。そこから、翌日の現場に少しでも近づいておくために、広島から山陽自動車道を走らせて、東広島まで行き、西條駅前にあるホテルに転がり込むことができた。ホテルの駅前にあった居酒屋で軽く食事をして12時過ぎに就寝。
 翌朝は6時に起床、食事を済ませて、早々にホテルを出る。ここから県東部の山間部にある神石高原町(じんせきこうげんちょう)に向かう。その町に「ピースウィンズ・ジャパン」の本部があるのである。
 そこでの話は中身が濃すぎて、脳の容量の少ないワシャにはまだ消化しきれず、整理するのには少々時間がかかりそうだ。
 とにかく、そこではヘリコプターに乗せてもらって、上空から被害状況を見せてもらった。ううむ、俯瞰をすると災害の有様が手に取るように判る。とくに理事長のご好意で、樹をかすめていくような低空飛行をしていただいたので(めちゃめちゃ怖いけどね)、とてもリアルに災害現場を体験することができた。
 神石高原町での仕事(といってもすべてプライベート)を終えたのが、午後3時を回っていた。これから車で福山までもどるのだが、さっきまで、ヘリコプターで福山上空にいたのにね。そこで降ろしてもらえればよかったのだが(笑)。一担、神石高原町ヘリポートに房って、車で山道をスタコラと福山に帰ったのでした。
 福山でまた一悶着あったのだが、その話もまた後日と言うことで。