日傘

 浅草寺の夏の風物詩に「四万六千日の縁日」ってえのがありましてね、その日は7月10日なんですけれども、江戸時代には旧暦ですから、時分でいったらちょうど今頃なんでございますよ。
 ここ何日か暑い日が続きますが、こんな油照りの日に、おそらく日本橋あたりの旦那衆が、船で浅草まで行こうとなりました。船宿に行ってみるってえと、これが四万六千日だ。船頭はみんな出払っちまっていない。そんならってんで、船頭になったばかりの若旦那の心もとない竿で浅草に向かうというお噺は「船徳」という一席でゲス。
 なんでそんな話をしているかというと、友だちのユッキィさんがツイッターで《男性が日傘を差さなくなったのはナゼ?》と疑問を持っておられた。そのコメントの中で、日傘を差す粋な旦那衆が登場する「船徳」のことに触れていたんで、ついついそっちに引っ張られてしもうた。
 ワシャは粋ではないけれど、暑いのが苦手なのだ。だから日傘を2本持っていて、この時期はいつも日傘を差して歩いている。白っぽい柄のと、黒っぽい柄のもの、どちらも布製で、絶対に雨傘と間違えられないものにした。折り畳みで、少し小ぶりだが、どう見ても男物なので気に入って使っている。
 ユッキィさんの言うとおり、最近、日傘を差す男は少ない。ワシャの祖父ちゃんが健在の頃には、西三河の田舎あたりでも、かんかん帽をかぶって日傘を差した爺さんはけっこう多かった。その頃と比べれば……という話ですな。
 でもね、ほんの少しだけれど日傘を差す男を見かけるようになってきた。それも若い男子が洒落た日傘を差しているのを名古屋あたりで見かける。それでも西三河あたりで圧倒的に多いのは雨傘を日よけにしているオッサン。それは昨日の帰宅時にも見たよ。まぁ雨傘でも用は足りるわけだけれど、粋ではないねぇ。

 このところの暑さは尋常じゃない。直射日光がチクチクと皮膚に刺さる。そんな時にさっと一振り日傘を差して、船宿から船を仕立てて、川面の風に吹かれながら観音様詣りと行きたいところだが、こちとら日本橋の旦那衆ではないから、尻ぃ端折って日照りの中を走り回らなきゃならねえ。おっともうこんな時間になっちまった。ちょいと仕事に行ってくるぜ。